アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「日比野克彦 伝言ゲーム」。1996.10.11~11.9。スカイドアアートプレイス青山。

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日比野克彦 伝言ゲーム」。1996.10.11~11.9。

スカイドアアートプレイス青山。

1996年10月。

 

 『ぴあ』の特集で「世紀末におもろいアートが炸裂!」というのがあった。明和電機会田誠。鳥光桃代。開発好明。曽根裕。笠原出。カワイ麻弓村上隆。野村浩。そういったアーティスト達を知った。生で作品を見たいと思った。その中で、興味を持った時に個展をやっていたのが中村ケンゴという作家だった。場所は銀座。

 

 やはり『ぴあ』の紹介文。

 

「中村ケンゴ展  SPEECH  BALLOON  MAN」。

日本画は伝統の固い殻に閉じこもってきた。時代の風に当たらなかった分、形骸化したともいえる。そんな日本画に、まったく新しい視点から風穴を開ける若手作家が登場している。69年生まれ、昨年多摩美大学院(日本画専攻)を出たばかりの中村ケンゴもその有力なひとりだ。

 たとえば、モンドリアン幾何学的色面構成を思わせる「COMPOSITION  TOKYO」シリーズ。これは部屋の間取り図に色彩を施したものだ。不規則な線が画面を覆う「SPEECH  BALLOON」シリーズは、漫画のフキダシを描いたもの。色もパターンも典雅な装飾模様に見えるが、実は現代日本(そして日本画)の強烈な戯画になっている。

今回の新作では、このフキダシを人間の形にはめこんでしまう。ポップでキッチュで、やっぱり日本画なのが笑える。』

 

それなりに期待して銀座九美洞ギャラリーに行った。

 

 確かに、紹介文通りの作品が並んでいる。ホントに言葉通りの絵が壁にいくつもある。その後、日本画がかなり人工的で明治になってから外国人を中心として作られたものだと知ったが、それにしても何だか思ったよりおもしろくなかった。というより、『ぴあ』で紹介文を読んでいた時の方がおもしろかった気がした。

 

 

 日比野克彦

 名前とどんな作品を作っているかをごく一部にすぎないけれど知っていた。

 ダンボールを使ったちょっとオシャレな感じで、ビデオテープのパッケージのデザインも手掛けた人物。サッカーに詳しいらしく、それに関する作品や文章も書いているらしいが、芸大のサッカー部とも聞いて自動的にあのモヒカンを思い出し、勝手だが印象は良くならない。それに最近、芸大の先生になったと知り、作品に魅力を感じつつも何か妙な警戒心を持っていた。いわゆる商売人ではないかと。だから、自分の作風が確立した後、ずっと同じようなものばかり作っているのではないか、とそんなに知らないけれど、そう思っていた。

 

 表参道のスカイドア アートプレイス青山へ仕事の帰りにたまたま寄った。

 『伝言ゲーム』と名付けられた個展は、かなり良かった。想像以上に引き付けられ、結構長い時間見ていたせいか、そこの人がパンフレットをタダでくれた。

 

 それまでのイメージ通りダンボールの作品だったが、受ける印象が違った。一番大きくて、3メートル×2メートルくらい。色付けも、テープの貼り方も、書いてある線も、かなりラフな感じで、でもその素朴さがいい意味で強さに結び付いていて、すごくいい感じだった。期待していなかったせいもあるのだろうが満足感も強かった。

 

「消えた書物を発見したあの都市へ⋯。」(40万円)

「貴婦人たちのお喋りがやんだのは、モハメッド・アリが聖火に火をつけようとした時であった。」(80万円)

「ジグザグに散らかってきた都市は、卵たちがたちこめている事に気がつかない。」(120万円)
 「パイナップル、バナナ、イチゴ、白桃、柿、マーガリン、コーヒー、お米と黒胡椒。」(80万円)

「車の助手席に漂っているひとは、いつかどこかで私が会ったことのある人です。」(100万円)

「背中のにおいが腹にしみるようにコントロールされた男。」(90万円)

「あの日のことはよく憶えている。家の戸をあけたら、べつに大した出来事のない一日だった。」(110万円)

「A.B.C.D.E.F.G.H.I.H.G.F.E.D.C.B.A」(70万円)

「タイの野菜がプラスチック容器にいれてあります。あなたはその上に覆われてあるサランラップを上手に剥がすことができますか?」(60万円)

 

 一応、パンフレットに書いてある値段も並べてみた。その中にこんな文章を書いた人もいる。

 

「二年前、日比野の作品の雰囲気が変わった。モチーフは同じなのに印象が変わった。スカイドアで新作を発表した時がそれである。(中略)大きなダンボール作品が大きな空間に、意外なほど殺風景に展示されているのを見た時の戸惑いは忘れられない。そのストイックでいつになく清楚なダンボール作品と対峙していると、刹那な郷愁のようなものと曖昧で心地のいい迷宮に埋没するような気分になる。デジャヴュに遭遇したような感じだ。それほど日比野が投じた(絵画的)ヴィジュアルメッセージは、私を換気させた。(中略)

しかし「ホドゥ語」以降は、自己の内面の探究を静かに始めた。自分の歴史の心象風景(少年、椅子、犬等)を吐露し、「ホドゥ語」という自由な記憶の連鎖で日比野の自画像を形成させようとしたのではないだろうか。(後略)」

 

 

 それから、勝手なものだけど、日比野克彦を見る目が全くといっていいほど変わった。それから日比野克彦の新作の個展があるとなるべく行くようになった。どういう風に作品を作り、どういう風に生き残っていくのか、という見方もするようになった。それは、いい意味で参考になるかもしれなかった。

 こういう感じ方は一方的かもしれないが、後に中山ダイスケというアーティストが『void』という雑誌で、こんなことを日比野との対談の中で話しているのを知った。その疑問は、私も知ってみたいと思った。

 

「中山 (前略)当時の情報だと、段ボールやすごく手軽な素材使ってるとか、ポップスターみたいに言われて、僕もそういう情報から日比野さんを見てたんです。でも、最近スカイドアで近作を見て、改めて凄く興味を持ったんです。東京のアートシーンの中で、メディアとしての日比野克彦でありながらも、個人の作品製作をしている。そのバランスはどうやってとっているんですか?(後略)」

 

 これから、思った以上にもっと重要なアーティストになっていくかもしれない。少なくとも、『日曜美術館』に日比野克彦が出てくると、妻と一緒に、かなり期待を膨らませるようになった。

 

 

 

(1996年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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