2018年2月22日。
大林組の企画で、2年に一度、都市計画をテーマに展示をする、という企画を始めて、その第一回が会田誠で、意外でもあったし、しかも表参道での展覧会という、さらに意外なことで、でも、その展示期間が2週間くらいで、意識しないと見ないままで終わりそうだと思って、妻と相談をして、今日、出かけた。
表参道に行く時は、渋谷駅で半蔵門線に乗り換える、という習慣がついて、少しだけ乗り換えが楽になったけど、表参道は、歩くには坂道の上りだし、ちょっと遠いしで、出口を出て、地図を何回か見て、クリスタルビルというバブル感が今だにあるような名前のビルに向って、入り口は、すごく立派な門構えだった。
会場に入ると、思った以上に人がたくさんいて、わりとすきまなく、人が入っているという感じで、いつのまにかメジャーな作家になっているのか、とも思ったし、おしゃれでとても怪しい人種もいたりして、入り口で紙を渡され、それには展示物の説明が書いてあって、表と裏で違っているのは、表は地下1階の展示。裏は地下2階の展示で、おそらくは会田誠自身の手書きをコピーしたもののようで、読みにくいが、なつかしい。
都市をどうしたいか。そのラフに見えて、人が住むというのは、どういうことかを、実はかなり住んでいる人が住みたい町にしたい、というようなことを示しているだけで、こうしたことを誰もが出来たら、もっと違ってくるかも、と思ったりもしたが、ツイッターか何かですでに、美術界の人間が、建築の方に入って来るな、といった批判が出ているらしいから、専門家というものが、変な感じになっているのかもしれない。
入り口に、東京改造法案大網という作品があったが、ちゃんと読めなかった。
シェキングオベリスク。という立体。前に故障中という張り紙。動いている映像を見ると、東洋ではあまり見かけないが、西洋だと見覚えがありそうな、妙な柱らしいが、それが揺れている。動かないのは残念だったりもする。それと、都庁をまるで細いお城のように作ればよかったのに、というのは、案を出して、それを山口晃が完成させる、というもの。それとは別に山口の作品を、さらに違うシン日本橋にしたり、といった作品。あとになって気がついた、ちくわ女の像。それも、東京湾の下を通っている道路の排気口が地味だから、相原コージの作品に出てくる、口がちくわになっている女性の像を、そこに作ったら、という絵画。
それから、過去の作品も、思ったよりも町というか、都市とか、そういったものに関連した作品が多かったし、最初にアートに興味を持たせてくれたダンボールで作った天守閣の写真もあったし、新宿御苑大改造計画も、どこかで見たけど、今回はジオラマも含めて、ちゃんと見られて、よかった。いろいろと考えたことを、それも生活して、暮らしている人間として、形にしようとして、それを伝えようとしている。
地下2階。セカンドフロアリズム。建築は2階建てにして、住む人間が勝手に作ればいい、そして、質ではなく規模としてスラムくらいが人間が住むにはいいのではないか、という主張と、それを形にしている。バラバラとして、ゴミが散らばったようになっていて、そして、会田寅次郎の作品もあって、それは自分のコンピュータの中を探索するようなゲーム。
歌をカラオケで歌っている自身の姿があって、思ったよりもきれいな歌声なのだけど、ジュリーのボギー、ボギー、あんたの時代はよかった、の替え歌で、ボイス、ボイス、あんたの時代はよかった。アーティストがぴかぴかの詐欺師でいられた。グルでいられた、と歌っている。
新宿歌舞伎町で、芸術公民館をやっていて、一度は行きたいと思っているうちに終わってしまった企画だが、だけど、新宿の夜に飲みこまれた、というような言葉まで書いてある。
全体として、文字が多く、言いたいことはストレートに言っていて、そんなことも含めて、建築って、人のためにあったのに、と思い出したりもして、高層ビル、というのは、昔の天守閣と似ているのかもしれない。実は、実用性はないが、低いと負ける気がする、と橋本治が書いていて、そんな分不相応な、なくてもいいものかもしれない。これから先、メンテナンスが出来なくなったら、空にそびえる廃墟みたいになっていく可能性だってあるのに。
自分が生活に困っている時に見ているから、よけいに、ああ、こんなにいろいろ考えればいいんだ、というような気持ちにはなれた。
(2018年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。
「げいさい」会田誠