アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

映画。『エンディングノート』。2011.12.24。ジャック&ベティ。

映画『エンディングノート

オフィシャルサイト

 https://www.bitters.co.jp/endingnote/about/index.html 

 

2011年12月24日
 ジャック&ベティは、繁華街の中にある映画館のはずだったが、1991年にキレイになり、ミニシアターとして再出発していたはずだったけど、もう20年もたった。
 

 映画は、本人のナレーションとして、初老の男性が主人公なのに、女性の、それも若い人の声で、しかも本人としてしゃべっていて、娘で、この映画の撮影も編集も監督もしている人であって、ということがどうして可能にするのはすごい、とも思っていたが、風景が品がよくキレイだった。

 

 それに、登場人物が例えば医者が、まるでカメラの存在がないかのように振る舞っていたり、その上、娘さんは?と話をふられると、普通に話したりと、なんだかその自然さがすごくて、よくこれだけの距離感で出来るな、と感心しつつも、その話そのものに引き込まれるように見ていた。

 

 画像も、その場面、場面でちゃんと段落をつけるようにしていて、そこは普通の映画のように、という工夫もあった。それでも、あれだけ安定した視線で見ていたように見えたカメラが、少し揺らぎを見せたと思ったのが、思った以上に進行が早く、もう1週間も父親がもたないかも、ということを家族は医者と話して知っているのに、息子1人と、娘と母親とで話して、そのことはふせて、もう本人もガンで進行していて、悪くて、長くない、と知ってはいるけど、本人もまじえての話の時、本人は、あと1週間くらいなどとは知らないままでしゃべっている姿を映している時に、画面が揺れた、と思えた。

 

 孫の力はすごいんだな、と思ったり、そして、もう亡くなる前の日に、夫婦二人だけで話して、奥さんが、一緒に逝きたい。こんなにいい人と思わなかった。もっと大事にしてあげればよかった、と全身から強い感情が画面を通しても確実に伝わって来たと思える時に、一番泣きそうになった。場内のあちこちで、もう泣いている音が聞こえて来ていた。

 

 最後まで、品がいいままで進み、最期の時は、風景を映しているだけだったのは、もう本人の意識はなくて、という状況で、葬式まであわただしく進む様とか本当にリアルで、(当たり前だけど)距離感を本当にすごく微妙なままで進み、最後に、こうして本人に成り済ましているのは、娘で、という事までナレーションでしゃべったり、その監督が唯一画面に姿を表すのは、ガンで治らないというのを知ってから、キリスト教で葬式をあげると決意し、洗礼もうけて、というので、もう起き上がれなくなったような時に、洗礼を受けている、という姿だった。

 

 見てよかった。

 人が、本当に死んで行く話なのに、これだけさわやかな感じが残るのは、やっぱり、この父親が、かなり大手の会社の役員にまでなって、死んだ時も新聞の死亡欄に載るような人なのだから、サラリーマンとしては大成功で、子供3人いて、それぞれが成功しているように見えるし、孫もいるし、ということで、確かに自分の母親が90歳を越えて、健在であるから、先に死んでしまうのはそれは母親の気持ちを考えたら、何ともいえないけれど、でも、人の生涯としてはかなり幸せなせいだと思った。

 

 ただ、最後のハナレグミの曲が、あまりにも内容とつきすぎていると思った。せっかく距離をたもってきて、だから、見ている側も見れたのに、残念な気がした。それでも、ドキュメントで、家族で、これだけのものが出来るというのはすごいと思った。風景が効いている。見て、よかった。

 

 

 

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