アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「山下清展」。2009.1.2~7。渋谷駅・東急東横店。西館8階。特設会場。

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山下清展。2009.1.2~7。

渋谷駅・東急東横店。西館8階。特設会場。

2009年1月5日。

 なにかで見て、山下清展を正月にやるのを知り、出来たら妻といっしょに見たいと思っていたら、妻の友人から券をもらうことになった。1月2日から1月7日。1週間にも満たない期間。入場料600円。デパートの特設会場。内容にはそれほど期待はしていなかったが、山下清の作品をちゃんと見たくて、だからすごくラッキーだと思った。

 

 昼前に出かける。ちょっと買い物をして、1時前に会場に入ったら、年配の女性を中心にかなりの人手で、デザインセンスがあるのね、とか、きれいな、とか、そうしたほめ言葉があちこちから聞こえてくる。最初に並んでいるトンポや虫の貼り絵、というより、まだちぎり絵というような感じだけど、その雰囲気がもう独特の感じになっている。施設に入って、そこで習って、14歳くらいの制作年になっているから、入所して2年くらいの時のようだ。

 

 それから、びっしりとした細かさの、でも不思議とうるささよりも、どこか抜け感のある貼り絵といわれるものになっていくのが分かるような気がするのは年代順に並べてくれているせいかもしれない。毎日の中で、施設でどこかに出かけたり、神社の光景だったり、放浪(この言い方もどうかと思うが、でも、この言い方が分かりやすいのかもしれない)の後に制作したいろいろな風景は、すごくいいのは、なんでだろう、みたいな事を思い、静物画みたいなものを描いたりする時の、うしろの黒い点々みたいなものが気になり、その点々はあちこちの絵に出てくるが、それが何かがあまり説明もされる事もなく、日本のゴッホと言われ、本人はそれほどそれに興味もないようだが(それはそうだろう、と思う)そのゴッホの事を本人が話している時に、ゴッホの背景にも点々があって、その色が自分と違って面白い、という言い方をしているみたいだったので(パネルに書いてあったので)十分に意識していたことが少し分かった。

 

 ヨーロッパへ行ったのもホントに本人が行きたかったのだろうか、とか、東海道の絵もライフワークという表現もされているが、なんだか強制力みたいなものも感じたり、微妙な悲しさみたいなものがあったり、特に34歳で展覧会をやって、すごく評判になってから後の方は、本人はどうだったんだろう?と思ったり、それはホントに邪推というものかもしれないが、いろいろな事も考えてしまう。

 

 東海道を回った後に、高血圧による眼底出血を起こし、それから2年後に亡くなってしまったり(この時のことを、会場内のパネルでは「最後の一人旅に出かけてしまいました」みたいな書き方をしていて、抵抗感があった)という年譜を見て、そういう事があったのも初めて知ったけれど、無理させてしまって寿命を縮めた可能性はないだろうか。でも、一方である程度の介助が必要な人間ということでもあるだろうから、周囲の人を責めることはできない、みたいな事も思い、そうした気の回し方は当事者の人からは不快だろうな、とも思った。

 

 例えば、山下清を映画で演じる役者と本人が話をしていて、これから似せます。じゃあ、どもりは?と聞いて、完全に似せると治らなくなるので、少し似せます、という言葉を引き出したりしているのを見ると、それは意地悪とか、ではなく、そのままを見ている、そのままを聞いている、という異様な冷静さ、みたいなところがあるだけではないか、とも思う。

 

「自分の顔。1950年」。を見ると、この自分の突き放し方というか、そのままを描いているのは凄いと思うし、これが今回のチラシとして全面的に出ているのを見ると、ただの素直さとか、ほのぼのではなく、この作家の根本も含めて、評価されていくのかもしれない、という感じもするが、展覧会の中で、東京が空襲をうけ、焼死体がごろごろしているところも作品にしている、というのがあると、雑誌で大竹伸朗が話しているのを知り、それが見たいと思っていたけれど、ある意味でそういうこわさは、この自分の顔にもあるとも思った。

 

 そして、展覧会の中で、日本のゴッホと言われているのを知り、そのためかゴッホの作品の模写があったり(本人が描きたかったのだろうか?)するし、棟方志功も、ゴッホと自分で言ったりするけれど、どうしていつもゴッホなんだろう、とも思う。棟方志功も冷静だろうし、山下清はそれとは違うだろうけど、すごくよくそのまま見ていて、そのまま描くという意味での異様な冷静さがあると思ったし、だから、無理矢理は変わらないけど、どちらかといえば、自画像というだけでなく、レンブラントの方が近くないか?などと、今日初めて、これだけちゃんと山下清の作品を見たばかりなのに、そんな高飛車な事を思った。

 

 でも、見てよかった。

 そして、思った以上の人が来ていて、ちょっと意外だったけど、正月と盆にあちこちを回ってほしい、とも思った。表面的に感じるものだけでなく、なにかすごく深いところにも届くのかもしれない、と思った。

 

 

(2009年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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