アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「平成」の終わりに考える日本思想 大澤聡×片山杜秀。2018.9.28。ゲンロンカフェ。

「平成」の終わりに考える日本思想 大澤聡×片山杜秀。2018.9.28。ゲンロンカフェ。

https://genron-cafe.jp/event/20180928/

 

 

2018年9月28日。

 どうしようかと思ったが、片山氏の「近代日本の右翼思想」を読んで、この人と、「教養主義リハビリテーション」を書いた大澤聡氏が話すのであれば、面白くなるのではないか、と言った気持ちになり、義母の症状も思ったよりは重くなかったので、今日、行こうと思ったのだけど、最初にチケット購入が、すでにソフトが古くなったせいで開くことができず、最初はあきらめたのだけど、チケットを販売するシステムに問い合わせをしたら、すぐに返信のメールが来て、申し込むことができた。

 

 人数も、50名に届かなかったので、それは、あんまり急いでいかなくてもいいからありがたいが、もっと人数が来てもおかしくない企画のようには思う。

 

出かけて、あまり暑くないので、ちょっと油断をしていたら、汗をかいて、食事をしたあとに、着替えることになった。現場に行ったら、今年になって、たぶん2回目くらいになるのだけど、このスペースも出来てから5年目になっていて、その最初の年は、自分が学校を卒業をして、何十通も履歴書を送って、ただ戻ってきて、面接にすら進めず、来てください、と言われて喜んだら、3回くらい行くことになって、結局はそのカウンセラーの学校へ通うことをすすめられ、すごく暗くて重い気持ちになったことは覚えていて、その辛い時期に、このカフェが出来て、何回かトークを聞きにきて、それですごく支えになったような気がしたことも覚えている。

 

 話が始まり、片山氏は初めて、この企画に行くと決めてから読んで、さらには、初めて話すのを見たが、当たりが柔らかく、ものすごくベテランでもあったのだけど、自分よりも年下でもあって、それで、自分の年齢のことを考えて、また何もしていない自分のことを重ねて、ちょっと重い気持ちにもなったが、それでも、いかにも学問が好きな人で、いろいろとあったのだろうけど、そのまま大人になってきた人、という印象だった。

 

 話の中で、たとえば、大澤氏は、フーコーのやりかたを、そのことを言わずにやるのがカッコイイんであって、それをフーコーが、といった事を言うのはださいのだけど、それは明示しないと分からない、ということを語っていた。それを聞いて、たとえばどこかで学問的なことを伝える時に、もっと明確に、今回は、このことを伝えます、といったことを最初に提示しないと伝わりにくいということを感じてきていて、それは、自分で聞いて、そのテーマみたいなものを分かった方が楽しそうなのに、そうではなく、今このことを伝える理由を語らないと、かなり他のことに気をとられてしまうんだな、ということは、この5年間で分かった気がしていたので、やっぱり、みたいな納得感はあった。

 

 片山氏が、北一輝が、論文を書いて、死刑になるまでが31年。オウム真理教という名前に変えてから、死刑になるまでが31年。偶然なのだけど、世の中の状況も含めて似ているという話。北一輝が死刑になってから、日本は破局に走り出して、もう止まらないし、方向転換も出来てないから、またそれが来るのかと思うと、恐くて、どうすればいいかを聞きたかったが、最後まで聞き損なったのは、そこにつながるような話も聞けたのだけど、全体の知的なレベルが下がると、すぐに一方向へ走ってしまう、という状況に、今もなってしまっていて、もう止められない、という話も片山氏はしていて、ああ手遅れなのか、それならば、そういう中で身を守る話を聞けばよかったとも思ったが、でも、それは自分で何とかしなくてはいけないことかもしれない。

 なんだか恐くもなったが、何とかするしかない。などと思うのは、正常化バイアスかもしれない。

 

 

 

 

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