アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

『マティス展』。2023.4.27~8.20。東京都美術館

マティス展』。2023.4.27~8.20。東京都美術館

 もうずいぶん昔になるけれど、マティスの作品を初めて見た時の印象は覚えている。

 赤い部屋が描かれているのだけど、その赤の塗り方が、そばに行ってみると、明らかに塗り方が粗くなっている。それは、レンブラントのような、わざとラフに描くことによって、かえってリアルに見える、といった技法ではなく、単純に「塗り残し」のように見えた。

 だけど、すごいのは、そのことが少し離れてみると、全く気にならず、というよりは、おそらくは、もっときっちりと色を塗られていたら、そこに出現しないような美しさがあった。それに、何より心地よかった。

 これは、計算されたものではなく、感覚的な感じがしたので、すごいと思った。

 自分が見えるように色を描いたら、それが、物理的にはキレイに塗られていなくても、それがかえって、その自分が見た美しさとして伝えられるのだから、こうした素人の個人が言っても意味はないとしても、天才だというのはわかった。

 

マティス

 そのマティスの展覧会が、東京でやるということをニュースで知った。

https://matisse2023.exhibit.jp

 4月下旬から、8月下旬まで開催なので、いつか行けるのではないかと思っていた。そうしたら、なかなか行けず、時間がたった。

 そうこうするうちに、テレビ番組などでマティス展のことに触れる機会も多くなった。そして、それまで知らなかった点描のスタイルを使った絵画によって、マティスはまた新しい境地を開いた、みたいなことを聞いて、だけど、その点描スタイルで描いた絵は、きちょう面過ぎて、いわゆるマティスの魅力が減っているようにさえ見えてしまった。

 だけど、こちらにも筋の通った理論があるわけでもなく、それほど大量のアートに触れているわけでもないから、さらには、やけに具象的な人体の絵画なども描いていることを知り、自分がどれだけ知らなかったのを分からされて、だけど、あの近くで見ると、塗り残しや塗りむらに見えるのに、少し離れると、美しく、心地よく見える不思議さを思い出し、大規模な展覧会は、日本国内では約20年ぶりということなので、次は、いつになるか分からないし、そのアーティストの作品だけを見た方が何かわかるような気がしていて、やっぱり急に行きたくなった。

 

東京都美術館

 美術館に着くと、チケットを購入する列ができていて、しかも、今並んでも13時以降になるらしいから、前日でも予約して良かったと思いながらも、トイレに行って、汗もかいたのでTシャツも着替え、列に並んだら12時20分だった。

 そこから、また列が続き、区切られたルートを少しずつ進んで、だいたい15分ほど経ってから、会場に入ることができた。

 平日なのに、こんなに混んでいるとは思わなかった。

 

 マティスは、20歳くらいから絵画を始めた、という遅めのスタートでもあるし、技術的にピカソなどに比べると、上手い画家というイメージはないけれど、当然だけど、絵画を学ぶところから始めている。

 

『イロハニアート』(マティス展) 

https://irohani.art/event/13464/

1869年、フランス北部の穀物商の一家に生まれたマティス。はじめは法律家の道を目指すも、画家を天職と定めると、1891年にパリへ向かいます。そして画塾でアカデミックな画家のウィリアム・ブーグローに教えを受けると、翌年にはパリ国立美術学校の教授で象徴主義の画家、ギュスターヴ・モローのアトリエに出入りを許されました。

 

 恥ずかしながら、モローの元にはルオーもいたのは聞いたことがあったが、マティスのことは知らなかった。最初に、アカデミックな指導だけではなく、ルオーも力を伸ばした場所だから、その個人の個性を大事にしてくれたのではないかと想像がつく。このスタートで、すでにマティスマティスとして、できあがろうとしていたのではないだろうか。

 

マティス

 そんなことを想像もできると思うのだけど、まだ画業の初期である1900年頃には、すでに、いわゆる「マティスらしい」作品を創作していた。

 「サン=ミシェル橋」。

 

マティスの絵画を象徴するモチーフである窓が描かれた『サン=ミシェル橋』は、塗り残しがあることから未完であると考えられるものの、構図や鮮やかな配色から数年後のフォーヴィスムを予感させる作品です。

         (「イロハニアート」より)

 

 とても個人的な感想だけど、「フォヴィズム」を予感させるというよりは、すでに、「マティス」として、この方向に進めば、そのまま完成するように思えた。

 

日本初公開の『豪奢、静寂、逸楽』は、マティスフォーヴィスムへの夜明けともされる一枚。1904年、ポール・シニャックの招きを受けて南仏サン=トロペへ出向くと、新印象派の筆触分割の技法を実験し、光に満ちた理想郷的な風景を描きました。そしてこののちに、筆触を荒々しく変化させるフォーヴィスムの様式へと進むことになります。
         (「イロハニアート」より)

 

 この分析を、何度もテレビ番組などでも見たのだけど、展覧会でも、この絵を見て、このスタイルを勉強しているように思えた。色使いは、美しかったけれど、この点描を貫くには、もっと緻密さが必要で、マティスの軽さや明るさとは、やや相性が悪いのではないかというのが、勝手な観客の印象だった。

 これは、マティスにとっては、本来の自分の絵画を描くための、試みの一つだったのではないだろうか。

 

試み

 その後も、キュビズムの影響がある作品があったり、セザンヌ静物画のようなテイストの絵画があったり、でも、時代の流れとして鑑賞していくと、最初の「サン=ミシェル橋」が、さらに完成していくようなスタイルに向かっていくように感じた。

 

この時期のマティス作品に繰り返し登場するのが、パリのアトリエからセーヌ川の眺めを描いた『金魚鉢のある室内』などに見られる窓です。ここでマティスはアトリエと窓というモチーフを用いることで、内と外を融合させながらひとつの絵画空間を成立させようと試みています。

         (「イロハニアート」より)

 

 この展覧会の紹介がされるときに、象徴的な作品として取り上げられた『金魚鉢のある室内』は、黒を使い始めてから、その黒の使い方が馴染んでいくような過程かもしれない。それに、この頃の作品に窓が何度も登場する、金魚鉢と、室内、というモチーフは、内と外。生物と静物。それらをすべて一つの画面に調和させたいという試みにも感じ、その繰り返しを厭わない気配は、モネが、「積みわら」の連作を描いたのは、光が違うから、というようにも言われているように、同じように見える光景でも、その時の時間や気持ちによって違ってくるから、マティスが描き続けた、ということはないだろうか。

 

塗り残しの天才

1943年、第二次世界大戦による空爆の危機の迫ったニースから、近郊の街のヴァンスへと移ると、「夢」荘に居を構え、のちに画文集『ジャズ』として出版される切り紙絵の連作を制作します。そして1946年には最後の油彩連作である、「夢」荘と庭を主題とした「ヴァンス室内画」を描きはじめました。

        (「イロハニアート」より)

 

 もしかしたら、ここからは、様々な試みはしてきたけれど、すでに描きたいように描く、と覚悟を決めていたのかもしれない。その描き方は、病気のせいもあるだろうけれど、粗いタッチで、塗り残しとも思える部分もあるけれど、この第1作は、まさにマティス、と思える作品に思えた。心地がいい。

 

『黄色と青の室内』は「ヴァンス室内画」シリーズの第1作。単純化された背景に、陶製のつぼや果物、また小型円卓に載せた花束といった、マティス絵画ではお馴染みの事物が描かれています。

         (「イロハニアート」より)

 

 そして、この展覧会の象徴の一つ、『赤の大きな室内』は、壁は思ったよりも塗りこんでいる印象があるものの、テーブルに置かれた花の周囲には、塗り残しとも思えるような部部分がある。だけど、これも含めて、気持ちがいい絵画だと感じる。というより、ここもきっちりと色で埋められていたら、印象が固くなってしまうのではないだろうか。

 

『赤の大きな室内』とは、同シリーズを締めくくる傑作です。アラベスク細工の円卓と矩形の円卓、そして床に敷かれた2枚の動物の皮など、2つで1組を成すように事物が配されています。筆描きによる壁の白黒デッサンが、あたかも窓のように空間を切り取るのも見どころです。

        (「イロハニアート」より)

 室内と、窓。しかも白黒にしてあることによる、もしかしたら時間軸も違う光景への暗示もあり、静物と、画面下にはペットと思える生物もいる。内と外。生物と静物。もしかしたら、過去と現在が、溶け込むように一体化して見える。

 

 よく絵を描く人が、途中まではすごくいい作品だと思えるのに、完成したら、自分でがっかり、ということを言っているのを聞く。

 マティスは、自分の心地よいに敏感で正確で、それは技術や、緻密さに優先する。だから、通常なら塗り残しがあって、未完成、という状態を、完成と思い定めることができて、それがとても正確な判断になる、という可能性はないだろうか。

 そうなると、初期の「サン=ミシェル橋」は、塗り残しがあるから未完成、といった見方をされているのが一般的なのかもしれないが、これで、マティス自身が、完成と思っていたことはないだろうか。ただ、あまりにも「通常」と違っていたから、これを完成を呼ぶのをためらっていた可能性はないだろうか。

 この状態が、この絵画にとって、もっとも心地がいいから、ここで筆を止める。

 それが通常なら未完成と思われる状態であっても、それができたから、20世紀の天才と言われるようになったような気がする。

 

 

 

 

 

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