2023年9月30日。
蛭子能収の顔をテレビで見る機会がほとんどなくなった。
バスの旅は、人気もあったようだし、よく見ていて、笑っていたのだけど、認知症を発症したことを発表してから、出演することが少なくなっていったようだ。
以前にも、マンガを描くよりも、テレビの方が楽に稼げる、という言い方をしていて、それは、本心なのだろうけれど、それでも、この状態でも絵は描けるのではないか。その方が、もしかしたら、蛭子能収、という人の凄さを、改めて伝えることができるのではないか。
そんなことも考えたが、何ができるわけでもなく、そう思っていたこと自体を、少し忘れかけていた。
その頃、展覧会を開催するのを知った。
https://www.akionagasawa.com/jp/exhibition/the-last-exhibition/
蛭⼦能収といえば、世間⼀般の認識としてはテレビタレントにいたおかしな⼈ですが、私にとっては前衛的な漫画やイラストを描く「ガロ」の実に偉⼤な先輩です。
その蛭⼦さんが2014年に認知症の初期段階とTV番組の企画で診断されました。たしかにその頃から物忘れは著しく、画⼒も微妙な感じになってきてはいました。従来の⼿抜きとは違い、線が思わぬ⽅向へ変化しているのです。
その頃⾃⾝の描いたイラストを指して「⼩学⽣みたいな絵やね」と⾃嘲する様に⾔いました。
しかし、蛭⼦さんと私が師とあおぐ湯村輝彦(aka テリージョンソン)さんが「⼩学⽣みたいに⾒えても絶対におじさんにしか描けない絵」と前向きに評したのでした。
6年後の2020年、皆さんもご存じの通り蛭⼦さんは「レビー⼩体型認知症とアルツハイマー型認知症の合併症」である旨を公表しました。
その際に放った「(これからは)認知症のオレを笑って下さい」という⾔葉に偽りはなく、オレは今まで通りバリバリ仕事をするからこれからも宜しく頼みますという意思表明だったと思います。
しかし、現実はそうは⾏かず、認知症を公表したタレントの仕事はみるみる減り、漫画家としての描いたり、もしくは書いたりといった仕事も激減し今や限りなくゼロに等しいのです。
このまま蛭⼦さんをフェイドアウトさせてはならない、絵を描くことからスタートした蛭⼦さんを最後は絵=芸術家として飾って貰えたらと考える⼈達が少なからずいて、この度の展覧会は企画されました。
約1年と少し前の話です。
そして準備も整い今年の春から絵を描き出しました。
とはいえ、この展覧会へ向けてキャンバスに向かう頃には症状は進み、かつて⾃らの⼝から出た「⼩学⽣みたいな絵」は「幼児みたいな絵」になっていました。
しかし、件(くだん)の湯村さんの⾔葉に倣えば「幼児みたいに⾒えても絶対におじさんにしか描けない」、より具体的⾔えば「幼児みたいな絵に⾒えても75歳、認知症の蛭⼦能収にしか描けない絵」なのです。
どの絵も「⽣きる」ということが本質的に内包する儚さを突きつけてくるのですが、それでいて幸せな気持ちにもなってしまうのは企画した私達だけでしょうか。
− 根本 敬(特殊漫画家)
展覧会の最終日。やっと行けることになった。
表参道という街。骨董通りという文字を見るのも久しぶりだったけれど、そこから一本入って、歩いて、もうあたりは暗くなっていたのだけど、何かを探す仕草のせいか、「蛭子さんの展覧会は、こちらです」という声をかけられ、初めて入るオシャレなビルに入った。
「並びますけど」と言われた通り、ギャラリーは2階にあるけれど、その階段の1階の入り口から人が並んでいた。ここに来るまでも、この近くに来るほど、どこかで見たような顔の人がいたり、並んでいる前の女性は蛭子能収の作品がプリントされた服を着ていたりして、なんだか、勝手に気持ちも少し盛り上がってきた。
人がやっとすれ違える階段で、上階から何人か降りるたびに、上から「どうぞ、お入りください」という声が聞こえてきて、階段を上る。そのことを何度か繰り返したあとに、2階に到達して、ギャラリーの入り口に着く。
そして、人が出てきて、「どうぞ」と声をかけられる。
ギャラリーの中は人でぎっしりだった。
壁に20点近くの作品が並んでいる。
一枚、一枚、見ていく。
抽象画といえるのだろうけど、不思議な密度がある。
それは見ている側が、これまでのこと。蛭子能収の漫画。テレビでの姿。根本敬の作品。そして、ここ何十年かの年月。
そういった意味を重ねて見ているせいで、発生している、もしかしたら幻の圧力に近いものかもしれないが、でも、ここには蛭子能収の漫画とはまた違うけれど、オリジナリティのあるアートがあるように思えた。
色も強く、かなりシリアスな力もあるような気がするが、蛭子能収の漫画が、どこか不思議なぬけがあったのは、そのどこか脱力したような登場人物のせいだと思うのだけど、今回は、作品につけられた、おそらくは本人の言葉があって、それが、妙な明るさを生んでいるように思った。
ごく一例だけど、こうした言葉が作品の下にそっと添えられていた。
「マルタきょうていじょう
勝つか負けるか??」
「ガチャパイなんかいいんだよう」
「もういっちょうですか?!!」
「ほっとした」
「オレはこっちだと思う」
こうした言葉と、作品と、どう結びつくのかよくわからなかったが、作品は、なんだか良かった。
壁際にそれぞれの列ができていて、ギャラリーの空間の真ん中にも列ができていたが、それは、オリジナルのTシャツの注文を受け付ける列だった。迷ったけれど、列も長いので、あきらめた。
根本敬のステートメントによると、蛭子能収に、また作品を描いてもらうのは難しそうだから、本当に「最後の展覧会」になってしまうのかもしれなかった。
それでも、並ぶほど人がたくさん来るとは思っていなかったし、ギャラリーの中でも、アート界の有名人を見かけたから、想像以上に蛭子能収という人は、関心と興味と敬意を集めているのだと思えて、なんだかちょっとうれしかった。
『私はバカになりたい』 蛭子能収
『ブラックアンドブルー』 根本敬