アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

『いのちをうつす ―菌類、植物、動物、人間』。2023.11.16~2024.1.8。東京都美術館。

『いのちをうつす ―菌類、植物、動物、人間』。2023.11.16~2024.1.8。東京都美術館

2024年1月7日。

https://www.tobikan.jp/exhibition/2023_uenoartistproject.html

東京都美術館

 

 展覧会の最初の部屋には「きのこ」の絵が並んでいた。

 小林路子の作品。

 それも、その生えている場所の枯葉や、植物なども含めて描きこんでいる。少しでもよく見ると、林や森などには、枯れ葉がそのままに放置されていると、前年の冬ではなく、もしかしたら、何年か前の枯れ葉もそこに混じっているのではないか、と思えるほどの描きわけがされているように見えて、きのこだけではなくて、そこにある全てを描こうとしているのは、伝わってきたような気がした。

 会場内の説明文などによると、以前は心象的(シュール)な絵を描いていて、写実的なものを描こうと思った時に、きのこに偶然出会ったということだった。それが、プロフィールによると、1980年代だからそれから30年以上、きのこを描いてきたのだと思う。

 写真が登場して、もう200年近く経つのだから、こうした作品も写真を撮影すればいいのではないか、という見方もできるのだけど、こうした作品を見ているときは、どれだけ写術的であっても、その作者の視点のようなものをどこかで意識するような気もするのは、その切り取った場面も含めて、作者が見た風景をそのまま描いているからだと思う。

 

 そして、この作品のそれぞれに作家自身のコメントがある。

 例えば、「ドクツルタケ」

全身純白の致命的猛毒きのこ。味も良いというのがおそろしい。欧米では〝死の天使〟と呼ばれている。だが、食べさえしなければただのきのこ。緑の苔に立つ姿は清楚で美しい。夏〜秋、平地から高山までいろいろな林に普通に発生する。

 

「タマゴタケ」。

赤いきのこは毒、という迷信のため敬遠されていたが、食べられると知られて人気が出た。赤くても食用になるきのこもあれば、赤い猛毒きのこもある。色だけでは食・毒の区別はできない。夏〜秋、林内地上に発生。

 

 こうしたキャプションが、展示室に並んでいる作品全てにあり、その文章の距離感が長年、きのこを描き続けていて、とても親しみを持っているけれど、でも、その特徴や魅力を知らない人にも伝えるための距離感を持っている読みやすい文章だった。

 それは、絵画にも共通することだろうとも思った。

 

バードカービング

 きのこの背後には、鳥の姿があった。

 内山春雄。バードカービング

 それは、やっぱり飛び立ちそうにも見え、その周囲の石や岩なども含んで、再現度が高く、FRPで型抜きをして、そこに採食しているから、その塊としての一体感も高く、人の目の高さより少し低い高さになるように台に設置してあり、そこには白線があって、これから先は立ち入らないでください、という印にもなっているのだけど、その作品を見ていて、そこについ近づいてしまって、スタッフに注意されている人が何人もいたけれど、それも仕方がないと思えた。

 ライチョウ。冬と夏の両方の姿が作品になっている。

 

 そこから、別の展示室に歩くと、アホウドリや、トキやヤンバルクイナといった珍しい鳥がいたし、大きさもあると、重さまで伝わってくるようだった。おそらくはクロツラヘラサギや、ナベヅルといった名前は初めて聞くような鳥たちも、実物大で制作されているはずだから、その大きさと、意志の疎通が難しそうな目つきも含めて、ちょっと怖く感じるのは、鳥類は恐竜の子孫といった情報が、その気持ちに関係しているのかもしれない。

 後半には、内山の作品でタッチカービングで、今度はカラスやスズメなど、普段から目にしている鳥が作品化され、色が塗られていないのは、目が見えない人たちから触らせてほしい、という要望に応えるためで、その細やかな凹凸は、初めて触った。

 

植物

 きのこの作品と比べると、やや素朴な技術で描かれたような植物が並んでいる。

 それは、辻永(つじひさし)の作品だった。

 明治生まれの辻が、墨といったものではなくて、油彩で描いたことが、その頃は、おそらく新しいことなのだと思う。

 草花という身近なものを写生する、ということに、大きい歴史的なテーマではなく、日常的な描くといった狙いがあるようだった。

 年月が経つほどに、素人の鑑賞者でも技術が上がっているように見えるが、草花への愛情のようなものは、勝手ながらそれほど感じられなかったものの、おそらく、こうした試みの蓄積があってこそ、今回のような展覧会の成立があることを考えると、この辻永の作品の意味は、観客が思った以上に大きいのかもしれない。

 ただ、何しろ明治時代から、昭和の戦前から戦後まで50年以上、草花を描き続けたことは、すごいことだと素直に思う。

 

馬、ゴリラ、牛

 馬の写真は、今井壽惠が撮影している。

 それもサラブレッドだから、競馬という人間との、もしくは階層も関係している風景がそこに広がっている。

 美しい作品だった。

 ゴリラの絵を描き続けているのは、阿部知暁で、これだけごつい体を持つゴリラの目はとても穏やかで、かわいいといっていいような作品になっている。

 それは、40年近くゴリラと関わってきた成果と、作家本人も考えているようだった。

 

 そして、牛、それも家畜としての牛を描いているのが冨田美穂で、今回の6人の作家の中では、1979年で最も若く、その作家が描く牛は、思った以上に静かに、でも強く伝わってくる作品だった。

 最初は、木版画と分からなかったのだけど、その牛は耳に番号がぶら下がっていて、それは家畜という人間が飼っていることを表している。プロフィールによると、大学2年で初めて酪農のアルバイトをして、牛を初めて間近で見てから、20年近く、牛を描き続けている、という。

 しかも、酪農の仕事をしながら、ずっと描いている、というエピソードが納得いくように、とても尊重して描きながらも、ベッタリと近づきすぎたり、まして擬人化することもなく、とても正確に描いていて、実在感があった。

 個人的には、この牛の作品を見て、来てよかったと素直に思えた。

 

 

 

『きのこの絵本』 小林路子

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