アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

ボッティチェリ展。2016.1.16~4.3。東京都美術館。

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ボッティチェリ展。2016.1.16~4.3。東京都美術館

2016年3月24日。

 友人にボッティチェリをとても好きな人がいて、この展覧会があるのを知って、美術手帖の懸賞で当てる、と思って送ったら当たったので、これは一緒に行かなくては、と思って、誘った。もう2年くらい前、同じ東京都美術館での展覧会以来のはずだった。上野駅で待ち合わせをして、久々に会った。

 

 入場券を1枚だけ駅で買って、美術館に向かう。すっかり寒さが戻って来てしまったが、上野公園を歩くと、あちこちに桜が咲いているのは分った。人が思ったよりも歩いている。公園内にあるスターバックスは人がたくさんいた。

 

 東京都美術館は、人でけっこううまっているが、入場する前に並ぶほどは混んでいなかった。ただ、今日は平日なのに、会場に入ると、人がいて、小さい展示物は人が囲んでいて、少し距離をとったら見えないくらいだった。

 

 入ってすぐくらいに立派な絵画。それでも印象はソフトな感じの大きい絵がある。「東方三博士の礼拝」を描いた傑作、らしい。そんなに知っているわけもないけど、あとで説明を読んだら「線の詩人」ということなのだけど、そのせいか、すごく印象が柔らかい。自分の像まで描きこんでいて、そして、他にも「この人ではないか」といった登場人物があるらしく、そして、本人以外に、もう一人だけ、こちらに視線を投げかけている人物がいたけど、説明には書いてなくて、友人に聞いたら、いろいろな学説があって、決定的ではないらしいが、その人物も誰かかもしれない、というような事を教えてもらった。

 

 うまい絵って、なんだろう。そんな事も思うが、当たり前だけど、宗教画が多いのは、それでないと描けるような予算が出ないかららしいが、それでも、時々、自分の描きたいように描きたい、といった印象があるような作品(おそらく作品、というような考え方もないのだろうけど)があって、そして、その師匠の作品は、迷いがなくて、形も決まっていて、おそらくは注文主の意向にどれだけ沿うか、ということがプロのあかし、という部分で揺るぎがないようにも思えたが、古い感じはした。

 

 

 ただ、どちらにしても500年以上前の絵で、それが残っているのは、すごいことだとも思ったりもする。丁寧に描いてあるのは間違いなくて、その弟子(師匠の息子でもある)の絵と比べると、その違いがあって、ただ、丁寧に描くということは時間がかかり経営的にはマイナスになることさえあるから、それでも描いていたらしいので、ということも友人から聞いて感心もしたが、会場を出て、トリュフ入りクッキーが5000円くらいで売っていて、そういうことにも少し驚いたり、いろいろと思った。

 

 こういう絵画は、このボッティチェリのように15歳くらいから工房に入り、来る日も来る日も描き続けて、やっと描けるようになるものだろうから、これから先も、こういう技術を持つ人が現れるのは難しいかもしれないが、もう技術で、この先に行こうというのは、無理だし、それがアートとして成り立つわけでもないのだろうな、とも思いつつも、こういう風に過去が形として、本人が死んだあとも残って、記録が残っていないから謎の画家などと言われているが、同時代にダヴィンチがいたそうで、そういう人と比べると、自分のことを語ったりしない人だったのではないか、と思ったりもしたが、見に行けてよかったのは、ここに、自分が描けるものを描ける時代ではないのに、それをやろうとした人がいた、ということを確認できて、それがたまたま当時の「世界一の金持ち」の趣味と一致したから「ヴィーナスの誕生」みたいな作品が出来たのを改めて知り、すごくラッキーで、自分が描きたいことを描けたから、それ以上、作品以外に、あれこれ伝えていなくて、だから「謎の画家」なのかも、などとも思った。

 

 

(2016年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

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