
2024年10月12日。
道路から中が見える1階ではなく、ビルの4階にあるだけで、少し敷居が高くなる。特に銀座で、少し脇道に入った場所で、前も何度か来たはずなのに、ちょっと迷う。
(「ギャラリー小柳」)
https://www.gallerykoyanagi.com/jp/exhibitions/
暗い中で、いくつもの映像作品。
最近、あまり束芋のアニメーション作品を見ていなかった。もしかしたら、2001年の横浜トリエンナーレで、「若手」としての束芋を知ってから、あまり印象が変わっていないのかもしれない。その後、もちろんその時々の新作を見たことはあったけれど、いつも似た感覚になった。
今回も、平面だけではなく、立体と組み合わせたり、ほんの少ししか動かない微妙映像などもあったけれど、全体的に湿度を感じる作品が並んでいた。
この20年以上は、映像の技術自体も、おそらくは信じられないようなスピードで進化しているはずで、束芋も、そうしたことを使っているに違いないのに、個人的で、そのイメージも広がりすぎない、少し思考を止めて、深めてくれるようなアニメーションが、今回も展開されていた。
ずっと継続して制作し続けてきた凄さを改めて感じた。
精巧でアイロニカルな作品作りをおこなってきた束芋。近年制作した作品を通して、ものや現象が不意に繋がりをもつ瞬間、はっとするような発想の出発点そのものの面白さや広がりの可能性を感じたと言います。そこで束芋は手元にあった数々のものを並べ、自身の制作してきたアニメーションの断片を投影し、ものとものが引き寄せられたときの偶発的な出会いによる関係性を作品としました。今回の展覧会では、新たな試みとして遊びや偶然性を残し、鑑賞者が様々な思いを感じとれる空間を作りあげています。そして、鑑賞者と作品とのあいだに生み出される発見や思わぬ誤解はそのあと、新たに様々な物語を紡ぎはじめるでしょう。
(『ギャラリー小柳』サイトより)
これは、ギャラリーの解説でもあるのだろうけれど、同じく「ギャラリー小柳」のサイトにある束芋自身のステートメントは、短かった。
誰かによって企画され、デザインされ、作られ、買われ、使われたものたち。
ここに来る前は私と全く関わりのない時間の中にあったもの。
私が関わった時間の証とも言える、私が描いたアニメーション。
意図に縛られていたイメージを解放してみる。
どちらも今の私が捕まえた。
そして、そのあと。
(初芋:束芋1999-2000 [DVD])