2025年4月19日。
ギャラリーは、いろいろなかたちがある。
かなりきれいで静かな、周囲とは違う気配を発しているのは、有名なギャラリーであることがほとんどで、古い民家で展覧会を見るともあるけれど、それはインデペンデントで独自なギャラリーであることが多い。
ただ、とても特徴があると、それだけで覚えることもあると改めて教えてくれたのが、古くからあるようでそこだけ少し時間が止まっているようにさえ見える代々木の東口から歩いて1分くらいで着く「Galley10」だった。
詳しくは分からないけれど、この駅の周辺の開発のようなことがあって、その一端としてできたギャラリーなのかもしれず、そのためか、予算をかけることができたのか、そのギャラリーの入り口は、自販機のようになっている。
最初に行ったときは、その入り口の付近で迷って、そこがドアになっているのがわかって、重めの感触を引っ張り、その奥に階段が見えたときは、それだけで、別の世界に行くような、ちょっとした秘密基地のような気持ちになれて、ちょっとうれしかった。
まだ2回しか行っていないけれど、その独特の入り口のこともあって、時々行きたくなる。だから、今回の『Painting Recipes』は、サイトで今回の作品の一部を見たときは、それだけで全部がわかるわけもないけれど、その伝わってきた質感で見たくなった。
代々木駅の東口は、古くて急な階段を降りて、また上って、そして出口から出る。
2度くらいは来ているのに、少し迷って、ビルに入って自販機を見つけて、ドアを開ける。
階段の途中に踊り場のようなところがあり、そこに作品があって、そのときの展覧会の気配をつくっている。
https://www.tokyoartbeat.com/events/-/Painting-Recipes/C380-E5-DA/2025-03-28
(『Painting Recipes』)
本展覧会は、アート作品を生み出すための「レシピ」に焦点を当て、素材からアート作品になるまでの因果関係、つまりペインティング作品を作り上げるための「レシピ」を制作の母体とし、アートの意義を見出す作家群を紹介します。
「レシピ」は作者のアイデンティティと切り離すことが可能で、誰でも制作の再現を可能にするためのプロセスを指しますが、「レシピ」になぞって再現すればアート作品は生まれるのでしょうか。
過去の作家は、国や政府の厳しい表現規制の中、当時は許されない本音を工夫して表現してきました。現代の作家はそうして過去の作家が紡いだアートのレシピを「温故知新」として受け継ぎ、どのように制作に取り入れているのでしょうか。
国や年代を超えた作家の作品を並べることで見えてくる、様々なレシピが影響しあう因果関係も本展の見どころの一つとなります。ぜひご高覧ください。(『TAB』より)
ここまでの歴史的な蓄積や背景は、鑑賞者として感じることはできなかったけれど、どの作品もエゴのようなものはあまり伝わってこない、といった共通点はあった。
その中で、個人的には、比べるのは失礼かもしれないけれど、ある作品が、その中では最も自由を感じて、見ていたら、ギャラリー内にいる男性に話しかけられて、その人が作者の奥天昌樹だった。
1985年神奈川生まれの奥天昌樹にとってのレシピとは画面上の因果関係の積層にあります。完成した作品を客観的に鑑賞し逆算的に解析することで、表現の純度を保ちながら、素材や制作プロセスを「成分表示」のように明確化する追体験が奥天の作品理解の核となっています。
これはサイト上のステートメントの一部だが、さらにギャラリーのハンドアウトには、「幼児の落書きを転写しマスキングした上から油絵の具で抽象的な表現を乗せ、最後に剥がすことで下地の白が最上層のレイヤーとして描かれます」という言葉もあって、そのことについて、作家に尋ねたら、本当に、このステートメントのような話をしてくれた。
最初は、難解に思えたのだけど、その分からないことを尋ねると、丁寧に答えてくれて、だから、貴重な時間を使わせてしまい、申し訳なかったのだけど、作品を見ながら、作者の話を聞けるという、鑑賞者としてはぜいたくなことで、それで、その言葉と、作品と作者がとても一致しているように思えてきて、その作品がとてもよく見えるようになる気がしてきた。
こういう一致があることは珍しかった。
本当に作品に対して、全部を注ぎ込んでいる、ということだろうし、それは、おそらくはアーティストといっても、そんなにあることではないとも思っていた。
豊かな時間になって、ありがたかった。
1990年東京生まれのShinnosuke Miyakeは、文房具屋でボールペンの試し書きを、キャンバスにコピーしたaccumulation of unconsciousnessのシリーズなど、誰もが身近に手に入れる事のできる日用品やサービスを用い、それらを「アート作品」へと変身させるための「レシピ」を 作り出し、そのレシピが作品の重要なコンセプトになっています。
1993年に結成したアーティスト・ユニット、SUPERFLEX のEuphoria Nowは、世界の紙幣それぞれに使われている色とその配色(割合)を調べて、同じ色を同じ割合で背景色としたペインティングシリーズで、コインの裏表であるグローバル経済の陶酔的な効果と、虚無的な影響を同時に想起させます。
1975年マドリード生まれのSecundino Hernándezの「Washed」は、一度抽象的に置かれた絵の具を高圧洗浄機で剥がすことで、追加と同様に消去について描いています。足し算で描かれるものだと言われる絵画を通りぬけ、生のキャンバスへも対峙することで、イメージを俯瞰して捉えようとしています。
そして、それぞれの作品も、その制作過程が重要で、そのことによって、偶然性のようなものも織り込んでいるように思えた。踊り場の作品も、奥天の絵画だった。