アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

浅野暢晴 個展「現れるところ 消えるところ」。2020.1.11.~19。Hasu no hana.

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浅野暢晴 個展「現れるところ 消えるところ」。2020.1.11.~19。Hasu no hana.

 

2020年1月13日。。

 

 このギャラリーは、大げさな言葉を使いたくはないけれど、自分にとっては特別な場所だった。

 2011年に、マクドナルドも撤退してしまうような町に住んでいて、この先は衰退しかないのではないか、と思っていたのだけど、そこに突然現れたのが、このギャラリーだった。

 家から歩いて行けるギャラリーはありがたいし、そこで食べられる食事も、オーナーが作ってくれるのだけど、とてもおいしく、作品を見ながらだったから、とても豊かな時間だった。

 

 約7年、地元にあって、ほぼ毎回、展覧会に行った。

 複数回、見に行くことがほとんどで、それは体験でもあったので、あまり記録もとらず、そこにいることに集中していた。

 それは、いつでも行ける、という油断もあったのだと思う。

 

 オーナーは、フクマカズエ氏で、確か美大出身でもなく、ギャラリー勤務の経験もないはずなのに、最初はカメラ屋、次は古書店になっていて、長く、空き家だった古い木造の建物をリノベーションして、内部にはツリーハウスがあるようなギャラリー空間にしていた。

 

 すごく新鮮で、地元に、こんな文化が来ることが信じられなかった時間が、しばらく続いた。

 

 こうしたカフェもあるギャラリーは、だんだんと貸し画廊のように、スペースを有料で貸したり、カフェ機能を重視することで運営していくイメージがあったのだけど、ここは、違っていた。

 

 カフェ機能を縮小し、ギャラリーは、オーナーによる企画展が続き、入場料もとるようになった。美術作品に集中するような空間になっていった。

 

 ここに来るときは、オーナーの志に触れるような側面もあった。地元にある気楽さとともに、微妙な緊張感も常にあって、それは作品だけでなく、オーナーの美術やアートに対する姿勢から発しているようなものだったけれど、それは、心地よくもあった。

 

 とても豊かな時間だったけれど、移転して、地元からなくなったのが、2018年で、2019年には、今の場所(戸越公園)で再スタートした。

 

 電車を乗り継がなくてはいけないし、勝手なものだけど、通う頻度は明らかに減ってしまった。

 

 それでも、行くと、いつも穏やかに迎えてくれるし、志の気配は保っているので、微妙な緊張感もある。

 すごくありがたいことだった。

 

 今回の作家・浅野暢晴は、以前、私の地元にギャラリーがあった時にも個展をやった人だった、焼き物を使って不思議な生き物のような立体物を作っていて、そして、糸をつける作業をした記憶もかすかにあって、その人が、戸越公園にギャラリーが移ってから、また個展をやると知った。

 

 そして、その確か2年間の間に、作品を小さめにして、そして、人の家にお邪魔するという形での作品展示の方法をとっていて、それがトリックスターと名付けられて、ツイッターで話題になっていたらしい。

 

 焼き物を使った重さとか、もろさとか、いろいろな静かな感じもあって、それに加えて、すごく小さい作品もあって、それは、普及みたいなことを考えて制作したらしい。さらにオーナーが話してくれたのは、今回の展覧会の初日と2日目のことで、SNSで話題になり、作品を所持している人も来て、それに追加するように購入する人などが、一気に押し寄せて、その時の写真を見せてくれたら、このギャラリーが人でうまっていて、こんなに人がくることは、失礼だけど、初めて見たような気がした。

 

 ただ、オーナーが話してくれたのは、押し寄せるように人が来ても、作品を大事にしている人たちが来て、購入していって、ということや、売れたことで新しく追加した作品が、SNSにあがり、その映像を見たファンからの「欲しい」という遠方からの連絡が来た。それに応えた別のファンが購入して、それも数万円なのに、どうやらちゃんと送って、欲しかった人が手に入れたというエピソードも聞いた。

 

 今、こんなに人が集まっても、作家とファンが、幸福な関係にあると思った。こんなことがあるんだ、と感じた。温かい気持ちになった。

 

 

(2020年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

www.hasunohana.net

 

「佐々木高信 展」。2019.4.23~4.28。Gallery美の舎。

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「佐々木高信 展」。2019.4.23~4.28。Gallery美の舎。

2019年4月27日。

 どこかのギャラリーに行った時に、話をする機会があって、その流れで名刺交換をしたせいで、ずっとDMが来るようになり、ただ、そのそばに行く予定がなかなかなくて、行く機会もなくて、それでも何だか悪いなと思っていたギャラリーがあった。

 

会田誠ツイッターで、自身と同級生で、同じような方向を学生時代に向いていたと思っていた。それから30年以上がたって、個展を開いた人がいて、まったく違う道を進んで来たけれど、大量の作品を製作している人がいる、というのを初めて知り、それが、その行けてないギャラリーだった。

 

 用事が終わってから、電車を乗り継いで行けば、1時間くらいで行ける、ということを確認し、出かけて、初めてのギャラリーに入る。コンパクトな、広さ。座っていた男性が立ち上がる。村上隆の親せきのような風体。申し訳ないので、座ってもらって、作品を見る。

 

キャンバスに鉛筆で線を描いただけ。なのだけど、ちゃんと整っているから、ただ描いただけでないのは分かるが、その値段が6万円だったり、一〇数万だったりするので、情けないのだけど、自分では、買えないのは分かった。ただ、画面に重みみたいなものが確かにあって、ここまで大胆な作品もすごいと思って、入り口付近にあるファイルを見て、プロフィールも読む。

 

確かに会田誠と同じような時期に、芸大にいたはずで、そして、そのあと、まだ30代の初頭で精神を病む、という一文があって、そこから、再び個展を開くまでになるには、20年くらいたっていて、そこからまだ8年くらいだった。

 

 そういう中で生きて来た、というのは、それは想像ができないくらいの大変さだろうと想像するしかないのだけど、ファイルを見ると、学生の頃は抽象画、それも色鮮やかな作品が並んでいて、それをずっと描いて、大量の作品が並び、病んでいる期間も、抽象から具象に徐々に変わっていって、ずっと絵画ばかりで、キャンバスに描いていると思われるので、絵と向き合いすぎるような時間ではないかとも思うのだけど、具象であっても、箱に入れたり、工場の風景になったり、自画像が入ったり、といろいろな試行錯誤があって、それも、それぞれの行程を、すべて作品にしていくような作品数で、そんな変化が、まるで年輪のように蓄積していっているようで、そして、また抽象に戻って来て、今、キャンバスに鉛筆の線画という、スタート地点よりも、さらに抽象度があがったスタイルになっていた。

 

 戻って来て、さらに深くまで進んだという印象。

 

 ファイル4冊。その蓄積があってこそ、この今の作品があるのだろうし、と思い、やっぱりすごいことだと思うので、少し話を聞かせてもらった。今の作品は、その部分をたくさん描いて、その中で選んで、鉛筆でなぞるように描いているらしく、そのことがぎこちなさではなく、蓄積につながるのは、たぶん、ファイルになる前にも、ものすごくたくさん描いているから、その圧倒的な量が体と一体化しているから可能になることなのだろうな、と思った。

 

 蓄積とか継続とか、それが大事とか、そういう言葉自体は、すごく目に触れるけれど、たぶん、こんなに出来ている人はいないと思う。

 

 会田誠ツイッターがなければ見に来なかったと思うけれど、会田誠は、この作品を見に来て、何を話したのだろうか、とは思った。

 

 

 

 

(2019年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

a-pao.com

 

binosha.jp

 

 

 

 

 

「Skurappu ando Birudo プロジェクト 道が拓ける」。Chim↑pom個展。2017.7.29~8.27。キタコレビル(高円寺)

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「Skurappu ando Birudo プロジェクト 道が拓ける」。Chim↑pom個展。2017.7.29~8.27。キタコレビル(高円寺)

 

2017年8月27日。

 チンポムには広島での作品であやまったりしたあとに、違和感があった。今もその気持ちは微妙にあり、その時の本を読んだものの、当初は、悪ふざけ的なものが上回っていたように思えて、そのことも含めて、もっと正直に伝えて、その上で話し合えばいいのに、と思ったりもしていたが、もしかしたら、違うかもしれない。それでも、そのあとにいろいろな話し合いを重ねているのが著書を読むと分かってきたようなところもあった。ただ、まだ違和感は残っている。

 

 去年の歌舞伎町で壊すはずのビルを使って、真ん中に穴をあけた展示は、やっぱり恐怖心もあったけど、素晴らしかった。改めて見たスーパーラットの作品は、その製作過程も含めて素晴らしいと思っているし、あの展示と関係しているのが、今回の個展というのを何かで知ると、見なくちゃ、といった義務感に近い気持ちにもなったが、見る機会がなかなかないまま時間がたって、今日は他の参加することがあって、それが午後5時に終わってから向う。

 

 高円寺の駅が近づいてから、今日が「阿波踊り」の日だと初めて知って、ホームから見下ろすように踊りの集団が見えて、人がその周りにすごくたくさんいて、改札口に行くまで人の波ができてそれがコントロールされていて、改札を出ても目指す出口には、一回、違う出口に出てから回らないといけなくなっていて、なんだかすごく不便な気もしたけど、警察官がすごくたくさん立っていて、こんなに数が多いんだ、ということを改めて思った。

 

 そこから歩いて、以前来たときは、すごく迷ったから、今回はそれほど迷わずに、キタコレビルに着くことが出来た。ただ、あとで出口と入り口が違っていたのが分かったけれど、何しろ前回来たときは木造の作りだったはずの床がアスファルトの道路になっていて、そこの会場に入るときには、いつも美術館やギャラリーで見る人たちとは明らかに違うパリピ成分が高いような若い集団で、それだけで、少し気後れもしていたが、入場料を払って、中に入るとスーパーラットの作品で、今回は壊されたものをまた組み立てたものなのだろうけど、そこの下では実際にネズミも飼っていたみたいだった。

 

 そして、子どもが作る秘密基地みたいに入り組んだ構造に変えられたような建物の階段を上ると、映像が流れていて、それは歌舞伎町の展覧会と、そのあとの解体と、この会場を作って行く流れが、適度な長さの映像になっていた。さっき、入り口にいたパリピ感のある若い人が、映像の前に立って、少し見にくくなった。

 

 その後、雑踏にも思える場所に、Pがあり、それは渋谷バルコを解体するときのPのネオンサインであって、外側にはCもあって、その場所はポストカードを買うときに、チンポムの卯城氏が売ってくれて、そのときに聞いたら外でないと見れなくて、隣のビルの階段をのぼると、よく見えた。なんだか、違う場所のようだった。

 

 地下に行くと、あちこちから集めたゴミのようなもので、地層を作っていた。そして、そこからマンホールを通って、上の道路に出られるのも分かったので、列に並んだ。前に並ぶ人たちは、そこで撮影もしているから、時間も多少かかっているようだった。すぐ前に並んでいる観客がミニスカートの若い女性だったから、距離と時間を十分にとって、完全に登り終わるのを待ってから、はしごを登った。自分の荷物が邪魔だったけど、狭い通路を通って、出た。頭だけ出して、周りを十分に見たり、といった、余裕もなかったが、それで「道路」に出た。

 すごい作品だった。

 

(2017年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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カオスラウンジ 新芸術祭二〇一五 市街劇「怒りの日」。2015.9.19~10.4。 いわき市街。

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カオスラウンジ 新芸術祭二〇一五 市街劇「怒りの日」。2015.9.19~10.4。 いわき市街。

 

2015年9月27日

 遠い場所だけど、去年の古い民家を使った展覧会も、なんだか他にないような感じでよかったし、梅沢和木の作品が、なんともいえない、やっぱり他にないような気配があって、それで、また見てみたいとは思っていたが、東浩紀ツイッターでの評価の仕方が気になり、妻と相談したら賛成してくれた。ありがたい。お金はかかるが、電車に乗って、日帰りで行けそうなぎりぎりの距離。

 

 昼過ぎの電車に乗る。行きは、車内で、もっと本をちゃんと読むか、ちゃんと寝たかったけど、妙に緊張していて、眠れないけど、本もすごく集中できたわけでもない。だんだん景色が変わる。福島に近づき、それまでと何も変わらないようにも見えたが、看板のようなものに「福島県内の原発すべて廃炉」みたいな文字が見えて、当たり前だけど、事故があって、それがまだまったくといっていいほど解決の方向へ進んでいなくて、それをなかったことのようにしていたというのは自分自身の問題でもあって、行かなかったことが微妙な後ろめたさもあって、今回、大震災のあとにやっと東北へ行く機会が出来た。

 

 駅はもう10数年前と比べたら、当たり前だけど、とても開けていた。ここに宿泊して、Jビジレッジに通ったのは、トルシェが日本代表の監督をしていた頃で、あれからまたとても長い時間がたったと改めて思い、駅前の観光案内所で地図をもらって、歩いた。

 

 最初の会場は、地方で見かける古いスーパーみたいな建物を使っていて、そして、そのスペースは思ったよりも広く、そして撮影が自由なので、写真を撮りながら見るのは、微妙に気持ちも違うものの、そこにある作品は、よく見ると、このいわき特有の歴史に根ざしたことをベースにして、そこから現代につながるものになっていて、そして、あまり軽々しく言うのは失礼だと思うけど、今の福島県は怒りがあっても自然な状況で、そういうことも含めて、つながってくる、というか、その時だけでなく、あとになって、いろいろと考えが蘇ってもきた。

 

 

 山内祥太「もっと遠くへ行きたい」。ホームレスなのか、原発作業員なのか、というような人形みたいなものが横たわって、回っている。その奥で、どこかへ出かけて行く映像作品が映っている。思ったよりも奥に広い建物。

 

 2階に上がる。村井裕紀の大きい作品。パルコ木下。藤代嘘。

 徳一、といういわきの僧のことがテーマとして扱われる。竜宮伝説とか、死人田とか。その作品を撮ったら、炎のように写って恐かったが、それだけ怒りが強いのかも、などとも思い、あとになって、読むほど、その意図の強さが伝わってくる。いわきで内戦が起こったら、というような作品もある。

 

 次の会場は、道に迷った。まるでセットのようなスナックが並ぶ路地を抜けても、次につかない。かなり違う方向へ歩いていたが、同じような場所で、同じような地図を持っている青年がいたから、同じように迷ったのだろう。

 

 次の会場には天狗にまつわる展示。フェルトで作られた作品は、天狗が、震災後の再開発で失われた神社らしく、それを思うと、もう天狗のいる場所がなくなっているのだろうな、とも思える。そこで、アートが好きそうな女性に、次の会場のことを聞かれる。

 

 そこからまた歩く。

 緑が多く、夕暮れが迫り、暗くなると見られなくなるのでは、とも思い、やや焦るが、お寺につくと、そこには梅沢和木の障壁画がある。今回は、また著作権で訴えられそうなものになっているが、やはり乾いたひりひり感は、他の作品にはない独特のものだと思う。

 

 そこから、本堂へ行き、ご本尊さんを見ながら、音声でのドラマを聞く。途中で、お寺の僧の方が、電気をつけてくれる。途中で沖縄との関係の作品があったが、よく分らなくて、あとで、解説を読んで、少し分った気にもなり、そして、そんな遠い場所と、このお寺の僧が沖縄と関係があるというのは、とても不思議な気持ちにもなり、そういう場所でやる意味は、確かにあって、これが文脈というもので、その話は昨日の人間科学とエビデンスをテーマにした講演会の中でもさんざん聞いた。裏庭に長靴をはき、どろどろの斜面をローブをつかまって、くだっていく。そこに作品。さらに竹やぶの中みたいなトンネルをくぐって、さらに奥へ。川まで作ったところに、石がつんである。

 

 戻ってくると、空がとてもきれいに見えた。

 そこから歩いて、第2会場に行くと、まだトークショーが始まってなくて、参加も出来た。道の途中で走っている黒瀬陽平東浩紀を見た。ものすごく明解な話をする東。

 

 今回は3つの点があって、ひとつはカオスラウンジの到達点。2つめは美術の演劇化。3つめは、芸術の公共性についての新展開。さらに、今は、10分話を聞いてくれる人もほぼいない。1000人に一人いればいいほうで、問題は、その人達をいかに効率よく呼べるか、みたいな話だと思う。今は、極端にいえば、売れてるからすごい村上隆と、気合いがあるからすごいチンポムしかいない。そうでないことをしていくしかないのでは。といった事と、今回は、外から精神分析医のように来て、そこにある土地の無意識を形にした、というような事だともいえるではないか。こうしたことを継続するためには。

 

 の話の途中で帰りの急行に間に合わないかもと思い、出た。もう駅弁もないだろうから、ファミリーマートでののり弁と、デザートにシュークリームを買った。飲み物と。

 

 あとから、またいろいろな事を思うのだと思う。

 体験でもあったから、また違うことを感じるのかもしれない。 

 行ってよかった。

 

 

(2015年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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「横尾忠則 肖像図鑑」。2014.6.28~9.23。川崎市市民ミュージアム

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横尾忠則 肖像図鑑」。2014.6.28~9.23。

川崎市市民ミュージアム

 

2014年9月6日。

 知り合いの人から、券をいただいた。

 ただ、今、東京都内の公園でのカに刺されてデング熱、というようなニュースがあり、横浜市内の公園でもそんな事があって閉鎖されて、という情報もあって、今日行くのは確か公園の中のミュージアムだから、と虫除けを買おうという相談と、今日は車中で食事をするのではなく最寄りの駅で何か外食しようという提案をして、最近、武蔵小杉は、新しい街としてマンションがたくさん建ったりしたせいか、駅前のビルにおしゃれっぽいカフェみたいなものが出来て、下調べして車内で妻と相談したら、野菜を食べるカレーと、おぼんでこぼん、という2つが候補になり、それは前日の夜に自分も行きたいところと一致していた。

 

 駅で降りてエレベーターに乗って、ビルに着いたらその2つの店にはすでに列が出来ていた。やっぱり同じことを考えるんだ、と思ったりもしたが、別の店に行った。おしゃれな店で、おしゃれな女性たちがいたりして、久しぶりに違う世界にいるような気持ちになったあとにバスに乗る前に、虫除けをかけてから、展覧会へ向かった。土曜日なのに、人が少ない。閑散としている場所。こんなに衰退という気配が強い場所は久しぶりだった。

 

 横尾忠則。いつものタッチ。絵柄。ただ、圧倒的な数だった。様々な俳優。そして、雑誌か何かの連載のために書いた挿画という表現。そして、小説家の、それも明治以来の人達の肖像。考えたら、ウォーホールのやりかたと一緒という言い方もあるけど、ただ横尾忠則は、昔の人はおそらく写真をもとに作っているのだろうし、そんなに時間をかけている感じもしない(実際は分からないけど)けど、ただ似ていた。というよりもその中でわずかに作品を読んでいるような小説家は、その作風というか、その人物がすごく出ているような気もするが、横尾忠則のことを思い出すと、思い悩むというような時間が想像しにくいことに気がついたりもする。

 

 ただ、その人間を描き続けている感じは、おもしろくて、膨大な量が出来ていて、歴史みたいなものになっているのかもしれない。どれも同じような感じともいえるけど、いつも品質を保っている、というような言い方も出来るし、などと思って、だけど、ただよく出来ているでもなく、ただ、安心感を与えられるでもなく、家族の、特に子ども達の描き方の容赦のなさに、リヒターが家族の写真を撮ったときの、あまりにも冷たいというか距離感がありすぎる感じと似ているのかもしれない、などと思った。

 まだ現役であることの、観客としてのありがたさを、感じた。

 

 

(2014年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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村田森 陶展「高麗への想い。務安からのはじまり」。2013.11.1~23。カイカイキキギャラリー。村田森・村上隆トークショー。2013.11.23。

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村田森 陶展「高麗への想い。務安からのはじまり」。2013.11.1~23。カイカイキキギャラリー。村田森・村上隆トークショー。2013.11.23。

 

2013年11月23日。

 トークショーのことをメールで問い合わせたら、丁寧な返信が来た。予約も入場料も必要ないので、その時間に来てください、とあったが村上隆トークショーをやるのだから早めに行かないとギャラリーがいっぱいになるのではないか、などと思いつつ、少しあせりつつも着いたら20分前だった。人はたくさんいるが、会場になるらしい畳の場所にはまだ人がそれほど集まっていない。そこに座って、隣のぐい飲みを見ていた。会場には、磁器の作品があって、それは村田氏のそれまでの鳥などが絵付けしてある「かわいい」といっていいような器が並んでいた。

 

 午後2時を過ぎてから、2人が座布団をしいて、正面に並んだ。

 村上隆が時々目をつぶりつつ話をしている。

 今回の展覧会は、「つばぜりあい」をしながら作りあげて、そういう意味では、さわやかな気持ちになっている。今回、ある器のお店を経営している人のからだエピソードで、ぜひこの展覧会を見に行ってください、と言ったら、もう初日でいいのは売れてしまっているから、という返事があり、そういう事ではなく、見に行ってください、というやりとりをしたのだけど、それに対して、そういうさもしい見方がダメだ、というような話。

 

 そして、今回はなぜ優れているか?という話。

 作家本人は「未完成で」というような事を言っているが、何のツテもなく韓国に渡り、そこで作品を作った。というような事で、遠くに大芸術のともしびがみえた、という作品だと思う。そこで留まる人。見た、と言ってそこで商売をする人。いろいろな人がいるのだけど、村田さんは、ここからつらい芸術家として活動をするけど、その成果が今回の展覧会として結実している。今も、これが売れ残っているのか?という感じがある。バカだなあ、と。いろいろ言われている。ちょっと塗り過ぎている。たれている。うんぬん。そんな事ではない。この人は、これがバブルの頃なら松の木を、それも薪割りの人を雇って、そのお金を1回の焼きで50万も使う感じもあったのだけど、この村田氏は、廃材を使わせてもらって経費を抑えている。そんな方法をとりながら、遠くに見える灯火に向かって作り続けている。そんな話をしていて、その村田氏は、隣にいて、普通に力みや変な防衛もなく、信頼できるたたずまいをしていた。

 

 

 村上隆は芸術は本当に命がけで、作品を作ったあとはただのふぬけになっている、と言った。その言葉が大げさでなく、そしてこの陶芸家とウマがあったという事は、それは、命がけで大芸術の遠くのともしびに向かって進もうとしている、そんな志をどちらも持っているせいではないか、と思った。

 

 

 村上隆は「うぶ」という表現をしていた。これは奇跡の瞬間で、そういう事は気づかれない。普通な顔をしている、オリジナリティーがあるわけでもない、だけど、そういう事ではない、という言い方をしていて、また岡田斗司夫が、100万以上の値段の作品を売るやつは信用しない、みたいなツイッターをしていて、それをリツイートしている人がいて、という事を前提にしながら、ばかばかしい。何のことも分かっていない。国家が権威を誇示するためのテクノロジーなのだから、昔の茶碗が10億とかいうけど、それは安すぎる、というような言い方も村上隆はしていた。それは、他の今のヨーロッパなどのリアルを知っている、というか、骨身に沁みて分からされた人間の発言なのだとは思う。

 

 そんな話を聞いて、身が引き締まったと言うか、この展覧会のものを買って帰ろうと思った。

 妻が湯のみがないと言っていた。この前は、ピンと来るものがない、と言っていた。それでも、自分が使えばいい、と思って選んで買った。

 

 家で妻に見せた。私のことを思って買ってくれた感じがする。それは本当だった。そして家に買ってきて、机に置いた。尾形アツシの私の湯のみと一緒に並ぶと夫婦湯のみに見えた。すっきりとしている。見ていると、スッキリとし過ぎていて、まるで素人が陶器屋で作ったものにも見えてくる。そんなはずはない完成度があるのに。これが「うぶ」という事かもしれない、と思った。もうベテランの陶芸家が、こんな作品を作れるわけがない。普通ならば。この邪心がない感じ。考えたら、個性的が偉くて、そしてどこか個性が感じられる器がやっぱり偉くて、これにはそれがほとんどないから、その薄味が妻にピンと来ないと言わせたのかもしれない。

 

 ただ、買って来て、手元に置くと少し変わって来た。それは今日の村上隆の話に少し洗脳されたせいもあるかもしれないが、でも、買ってよかった。これは他にない器かもしれない。

 北大路魯山人が、詐欺師っぽくてひどくて、でもその中にひとかけらの芸術を見たりすると、感動する、と村上隆は言っていた。そこまで見極められる目になれるとは思わないが、そこまで見ることが出来る村上隆はすごいと思った。

 

(2013年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

 

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ウメサオタダオ展―未来を探検する知の道具―。2011.12.21~2012.2.20。日本科学未来館。

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ウメサオタダオ展―未来を探検する知の道具―。2011.12.21~2012.2.20。日本科学未来館

2012年2月20日。

 未来館は初めて行ったが、キレイで立派な建物で、修学旅行みたいな制服姿の若い人達が、芸能人がいるんだろか?とどこかで方言で、その隣のフジテレビ湾岸スタジオを眺めていた。

 

 妻と二人で、東京テレポート駅から歩いてきて、途中のすき間の土地の生えている雑草を写真で撮ったりしていて、着いた。入ってから、上に大きい地球儀が回っていた。梅棹忠夫展。糸井重里がその展覧会を大阪で行った時に、ほめていて、出来たら見たいと思っていた。

 

 やっぱり優れた学者という人は、感覚的な部分を大事にしているんだ、という事や、本当に絶え間なく、尋常じゃない努力をしているのは、その膨大なメモや資料や、調査のノートなどで、伝わって来た気もした。そして、途中で失明していることも初めて知り、それでも、90歳近くまで生きて、89歳の時に、未知のものに触れるとしびれる、とその喜こびを語っているようなところも知って、すごいと改めて思い、そのバラバラして、もう一度、統合する、というのが今、自分が取り組んでいるGTAを思い出して、この人がもしやっていたら、みたいな事も思ったが、今西錦司がおそらく指導の教授で、結婚式の仲人もしていたり、柳田国男との交流もあったりと、なんだか、勝手に身近に感じていて、その考えが届いている場所が、とても射程距離が長そうだ、という感じもした。

 

 この人は、文明が進むことを人間の業のようにとらえて、だから、正しくないなら、人類は滅びる、みたいな事を言っていたとテレビ番組で見て、20世紀だけでなく、21世紀の人でもあるのだろうな、という気がして、今回の展示だけで、もちろん、全部が分かるわけもないが、そう確認出来た気もした。帰りにお土産として、本と、クリアファイルを買った。論文で辛い時に、これを見て、あんなにすごい膨大な研究をしていた人がいたのだから、と思おうとして買った。

 常設展で、アシモが普通に動いていて、ボールを蹴ったりする姿が見られたのはラッキーだと思った。そして、他の展示で「今日の質問」みたいなところがあって、説明する人がいて、観客がいて、という場所があって、その質問が、「核エネルギーの開発をこれ以上するべきでしょうか?」というもので、この時期に、とてもチャレンジングなことをしていると思った。

 

 そこを通り過ぎる時は2人の観客がいて、説明する人はきちょうめんそうな若い女性だった。そこをもう一度、通る時は、おそらく核エネルギー開発に反対、というか、少なくとも疑問を持っていそうな中年男性が、おそらくそういうような話をしていたと思われたのは、その説明の女性が、「そうなると、技術開発が進歩しないのでは、という側面もありますから」というような言葉が聞こえてきた。文明が進歩しなくてはいけない、というような事そのものを疑っている、という面も持っていそうな、梅棹忠夫の展覧会をやっている時に、そういう光景が見られるのが、なんだか不思議な感じがした。

 

 実はプラネタリウムがすごいらしいと後で知り、少し残念だった。5階のカフェでケーキやパフェを食べ、おいしくて、くつろげたのに、1階にロッテリアがあるのを知っていたから、こっちの方が安かったのかも、とケチな気持ちになっていた。その気持ちが自分で、あとで残念だった。そして、もう少し時間があれば、もっとくつろげたのに、とも思った。

 

(2012年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

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