アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「佐々木高信 展」。2019.4.23~4.28。Gallery美の舎。

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「佐々木高信 展」。2019.4.23~4.28。Gallery美の舎。

2019年4月27日。

 どこかのギャラリーに行った時に、話をする機会があって、その流れで名刺交換をしたせいで、ずっとDMが来るようになり、ただ、そのそばに行く予定がなかなかなくて、行く機会もなくて、それでも何だか悪いなと思っていたギャラリーがあった。

 

会田誠ツイッターで、自身と同級生で、同じような方向を学生時代に向いていたと思っていた。それから30年以上がたって、個展を開いた人がいて、まったく違う道を進んで来たけれど、大量の作品を製作している人がいる、というのを初めて知り、それが、その行けてないギャラリーだった。

 

 用事が終わってから、電車を乗り継いで行けば、1時間くらいで行ける、ということを確認し、出かけて、初めてのギャラリーに入る。コンパクトな、広さ。座っていた男性が立ち上がる。村上隆の親せきのような風体。申し訳ないので、座ってもらって、作品を見る。

 

キャンバスに鉛筆で線を描いただけ。なのだけど、ちゃんと整っているから、ただ描いただけでないのは分かるが、その値段が6万円だったり、一〇数万だったりするので、情けないのだけど、自分では、買えないのは分かった。ただ、画面に重みみたいなものが確かにあって、ここまで大胆な作品もすごいと思って、入り口付近にあるファイルを見て、プロフィールも読む。

 

確かに会田誠と同じような時期に、芸大にいたはずで、そして、そのあと、まだ30代の初頭で精神を病む、という一文があって、そこから、再び個展を開くまでになるには、20年くらいたっていて、そこからまだ8年くらいだった。

 

 そういう中で生きて来た、というのは、それは想像ができないくらいの大変さだろうと想像するしかないのだけど、ファイルを見ると、学生の頃は抽象画、それも色鮮やかな作品が並んでいて、それをずっと描いて、大量の作品が並び、病んでいる期間も、抽象から具象に徐々に変わっていって、ずっと絵画ばかりで、キャンバスに描いていると思われるので、絵と向き合いすぎるような時間ではないかとも思うのだけど、具象であっても、箱に入れたり、工場の風景になったり、自画像が入ったり、といろいろな試行錯誤があって、それも、それぞれの行程を、すべて作品にしていくような作品数で、そんな変化が、まるで年輪のように蓄積していっているようで、そして、また抽象に戻って来て、今、キャンバスに鉛筆の線画という、スタート地点よりも、さらに抽象度があがったスタイルになっていた。

 

 戻って来て、さらに深くまで進んだという印象。

 

 ファイル4冊。その蓄積があってこそ、この今の作品があるのだろうし、と思い、やっぱりすごいことだと思うので、少し話を聞かせてもらった。今の作品は、その部分をたくさん描いて、その中で選んで、鉛筆でなぞるように描いているらしく、そのことがぎこちなさではなく、蓄積につながるのは、たぶん、ファイルになる前にも、ものすごくたくさん描いているから、その圧倒的な量が体と一体化しているから可能になることなのだろうな、と思った。

 

 蓄積とか継続とか、それが大事とか、そういう言葉自体は、すごく目に触れるけれど、たぶん、こんなに出来ている人はいないと思う。

 

 会田誠ツイッターがなければ見に来なかったと思うけれど、会田誠は、この作品を見に来て、何を話したのだろうか、とは思った。

 

 

 

 

(2019年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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