アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

ウメサオタダオ展―未来を探検する知の道具―。2011.12.21~2012.2.20。日本科学未来館。

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ウメサオタダオ展―未来を探検する知の道具―。2011.12.21~2012.2.20。日本科学未来館

2012年2月20日。

 未来館は初めて行ったが、キレイで立派な建物で、修学旅行みたいな制服姿の若い人達が、芸能人がいるんだろか?とどこかで方言で、その隣のフジテレビ湾岸スタジオを眺めていた。

 

 妻と二人で、東京テレポート駅から歩いてきて、途中のすき間の土地の生えている雑草を写真で撮ったりしていて、着いた。入ってから、上に大きい地球儀が回っていた。梅棹忠夫展。糸井重里がその展覧会を大阪で行った時に、ほめていて、出来たら見たいと思っていた。

 

 やっぱり優れた学者という人は、感覚的な部分を大事にしているんだ、という事や、本当に絶え間なく、尋常じゃない努力をしているのは、その膨大なメモや資料や、調査のノートなどで、伝わって来た気もした。そして、途中で失明していることも初めて知り、それでも、90歳近くまで生きて、89歳の時に、未知のものに触れるとしびれる、とその喜こびを語っているようなところも知って、すごいと改めて思い、そのバラバラして、もう一度、統合する、というのが今、自分が取り組んでいるGTAを思い出して、この人がもしやっていたら、みたいな事も思ったが、今西錦司がおそらく指導の教授で、結婚式の仲人もしていたり、柳田国男との交流もあったりと、なんだか、勝手に身近に感じていて、その考えが届いている場所が、とても射程距離が長そうだ、という感じもした。

 

 この人は、文明が進むことを人間の業のようにとらえて、だから、正しくないなら、人類は滅びる、みたいな事を言っていたとテレビ番組で見て、20世紀だけでなく、21世紀の人でもあるのだろうな、という気がして、今回の展示だけで、もちろん、全部が分かるわけもないが、そう確認出来た気もした。帰りにお土産として、本と、クリアファイルを買った。論文で辛い時に、これを見て、あんなにすごい膨大な研究をしていた人がいたのだから、と思おうとして買った。

 常設展で、アシモが普通に動いていて、ボールを蹴ったりする姿が見られたのはラッキーだと思った。そして、他の展示で「今日の質問」みたいなところがあって、説明する人がいて、観客がいて、という場所があって、その質問が、「核エネルギーの開発をこれ以上するべきでしょうか?」というもので、この時期に、とてもチャレンジングなことをしていると思った。

 

 そこを通り過ぎる時は2人の観客がいて、説明する人はきちょうめんそうな若い女性だった。そこをもう一度、通る時は、おそらく核エネルギー開発に反対、というか、少なくとも疑問を持っていそうな中年男性が、おそらくそういうような話をしていたと思われたのは、その説明の女性が、「そうなると、技術開発が進歩しないのでは、という側面もありますから」というような言葉が聞こえてきた。文明が進歩しなくてはいけない、というような事そのものを疑っている、という面も持っていそうな、梅棹忠夫の展覧会をやっている時に、そういう光景が見られるのが、なんだか不思議な感じがした。

 

 実はプラネタリウムがすごいらしいと後で知り、少し残念だった。5階のカフェでケーキやパフェを食べ、おいしくて、くつろげたのに、1階にロッテリアがあるのを知っていたから、こっちの方が安かったのかも、とケチな気持ちになっていた。その気持ちが自分で、あとで残念だった。そして、もう少し時間があれば、もっとくつろげたのに、とも思った。

 

(2012年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

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