アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「ゴードン・マッタ=クラーク展」。2018.6.19~9.17。東京国立近代美術館。

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「ゴードン・マッタ=クラーク展」。2018.6.19~9.17。

2018年9月1日。

 まったく知らない人だった。だけど、誰かのツイッターで、優れた展覧会だというような評価もあったし、見てみたいと思っていたら、妻の友人から招待券をいただいた。ありがたい。

 

 起きたら、義母は予定通りにデイサービスに行ってくれたし、それで妻は自分が出かける支度をしていた。あとは出かけるだけで、私は、この前買った新しいTシャツを着た。ちょっとぴったりサイズで、少し恥ずかしいが、洋服の中で、Tシャツだけは、いいなと思うものがあると欲しくなる。

 

 竹橋の駅で降りて歩く。お堀端にある美術館。入り口付近は、妙に混んでいて、土曜日だからなのか、人がけっこういる。最初の部屋は美術館への「介入」だった。美術館の壁に穴をあけたりしていて、それで変化というか、やはり「介入」ということなのだと思うが、都市が出来てきたからこそ、こういう破壊といってもいいような行為が成り立つのだろう、とも思っていて、これは、チンポムが行った歌舞伎町の個展(「また明日も観てくれるかな?」)を思い出した。

 

 こうした作品は、やるか、やらないかがものすごく大事な分岐点なのだろうし、マッタ=クラークが、こうした作品を作ったのが、1970年代の初頭ということを考えたら、やっぱり早いと思う。

 抽象表現主義でニューヨークがアートの中心になり、そのあとポップアートが出て、それから、ミニマルアートも続き、絵画が復権するのが1990年代に、確か新表現主義といわれるような動きが出てくるまでとしても、それまでにも、そんな歴史的な流れに沿うようなことだけでなく、いろいろな試みがあったのかもしれない、と思わせてくれる作品が並んでいた。

 

 そういう流れの中で、この作者は、建物を真っ二つに切ったり、港の倉庫に穴をあけたり、そのことで逮捕状が出たり、樹木の上で泊まろうとしたが許可が出ないから日中、その上でいろいろとしたり、あとはグラフィティに注目したりしたのが70年代の最初の頃だったり、レストランに関わったり、といった、かなり幅広いことをしていた。それで35歳で亡くなったというのは、本当に伝説みたいな話だったし、これまでアートに興味を持ちながら、知らないままだったのが恥ずかしいように思えるくらい様々な魅力的な試みをしていた。

 

 活動を見ると、事故で亡くなってもおかしくないほど、大工仕事のような危険な仕事も多いのだけど、展覧会場は、写真や、映像や、立体や、模型なども使っていて、展示室を小さい部屋で区切るというよりは、大きい空間の中で、他の大勢の人たちと一緒に見て、といった形式になっていた。

 

 それは、プロジェクトという方がふさわしいような、形として残してないような作品が多い作家の展覧会として、よく考えられていた。

 そう思えるのは、映像の写し方や、その周囲に、そのイメージにつながるスケッチなどが並べられるだけでなく、様々な大きさのスクリーンや、それを、のぞきこむような形で観られるようにしたり、座る場所もベンチっぽくしたり、スタンドみたいにしたりと、たぶん、細かい工夫の積み重ねみたいなものの力で、展覧会場が、違う空間になっていた。

 

 1970年代という時代に、現実に「介入」し続けようと、体も張ったアーティストがいたことが、とても新鮮だった。今に、つながることが、本当に多い。だけど、自分の無知を棚に上げれば、その影響を大きい声で語られることも少なかったような気もする。このアーティストの紹介、そして名前を広く伝える、ということが、この展覧会の、一番大きい意味だったようにも思えた。

 

 

(2018年の時の記録です。多少の修正・加筆をしています)。

 

 

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