1996年6月
平塚市美術館に行って急にアートが身近になって、会田誠に興味を持って、初めて銀座の画廊というものに出かけた。こんなところにあるの?というような細いビルの中のエレベーターに乗ってドアが開いたら、そこに「美しい旗」という日本と韓国の少女が国旗を持っている大きい屏風があった。うまいと思ったし、そこにいる女の子はカワイイと思えた。
他にも戦争をテーマにした絵がホントに所狭しと並べられていて、きゅうくつでいながら、なんだか違和感があった。わら半紙みたいな紙に、会田誠本人の字で書いたような説明みたいなものがあり、それだと、説明を絵でしていく、みたいな宣言ともとれるような事が書いてあって、やっぱり面白いと思い、銀座の画廊なんて、自分の人生といちばん関係がないと思っていたのに、こういう作品が見られるのならば、油断できないし、見逃せない場所だと気がついた。
この展覧会は、「EACH SELECTION」― Out of Paintings―という企画で、それはDMには、こう書いてある。
「この展覧会では、3名のゲストキュレーターに各々1名ずつ作家を推薦して頂きました。選出された3名はいずれも“絵画”のジャンルに属しながら、これまでの絵画領域を越える様な、臨界的作品を意欲的に制作している作家です。是非ご高覧下さい」。
高野 麻紀 6.10[mon.]―6.15[sat]
Guest Curators 埼玉県近代美術館学芸員 前山 裕司
千葉 鉄也 6.17[mon.]―6.22[sat.]
Guest Curators 神奈川県立近代美術館学芸員 堀 元彰
会田 誠 6.24[mon.]―6.29[sat.]
Guest Curators 美術ジャーナリスト 村田 真
会田誠の文章(実際は縦書き)
「本展に関する作者の蛇足なおしゃべり 会田誠 1996、6、24
シリーズ『戦争画リターンズ』について
◎このシリーズの描法は美大油絵科を受ける際に描くいわゆる〝受験絵画〟のようにしようと考えた。それは最も短い時間で見てくれだけを良くするという特殊な要求が生んだ、世にも奇妙な描法である。油画科出身者の中には、若い頃に身につけたその実利的な技術を恥じ、ついには絵筆を捨てる人も多いように見受けられるが、僕は利用できるものは何でも利用するつもりだ。イージーな画材ばかりで、僕の出た大学院「技法・材料研究室」で教わった保存の知識はほとんど役に立っていない。しかし早急に伝えたいことがある時、たとえ後世の修復屋を泣かそうとも、僕は喜んでダ・ヴィンチになろうと思う。もしそれが残る価値のあるものなら、イコンは残るのだから。
『大皇乃敝尓許曽死米』について
◎この作品は〝コミュニケーションの分断〟がテーマであり、一種の意地悪なクイズのようなものなので、作者からは何も情報を与えない。と思ったが、やはり少しはヒントを出そう。これはドレッシングである。天国のようなリゾート、地獄のような戦場、動物愛護、食鯨、個人主義、忠君精神、軍歌、国文学、漢字、にほんご、English……etc、それら本来混じり合わないものを強引に絶望的にシェイクしてみたのだ。油絵具にはじかれた墨汁もそれを表している。
『紐育空爆之図』について
◎この零戦(正しくはレイセンと読むらしい。ナルホド)のCGは友人の松橋睦生くんに作ってもらった。彼は最近CGによるデザインや建築パースからイベントの進行まで手掛ける「ball inc.」という事務所を始めた。見ての通り腕は確か(特にオタク方面では凝り性を発揮)なので、よい仕事があったら03―3×××・××××に連絡してほしい。(※実際は電話番号が書いてある)。
◎8月15日は有名だが、12月8日が何の日であるか知る人は今や少ない。僕もそうだった。イランや中国やフランスはことあるごとにアメリカ合州国にたてつく。あそこまでしなくてもいいが、戦後の日本の〝アメリカべったり〟は、岸田秀の言う通りやっぱり病気だと思う。
『一日一善』について
◎明治になり開国した日本が、西欧に対抗するため古い素材をかき集めて新造した「日本画」というジャンルは、近代天皇制の完全なオプションだと前々から思っていた。近代天皇制が天皇人間宣言で実質的に終ったのと同じく、あくまで明治的な存在である日本画は戦後ずっと脳死状態を続けていると思う。戦前の日本画を愛する者として衷心から提言する。「日本画」という枠組はもういいかげんやめていいんじゃないか。岩絵具というアイデンティティーにしがみついて、ますます紙やすりのような野暮な物体に落ちてゆく日本画は見るに忍びない。岡倉天心もあの世で「やめろ」と言っているに違いない。
『題名知らず』について
◎これは画想が浮かんでから知ったことだが、現・原爆ドーム(旧・広島県産業奨励館)の設計者はチェコ人のヤン・レツルであり、周りにはギリシャ風の噴水などがあったらしい。
『美しい旗』について
◎この作品のアイデアはほとんど松蔭浩之くんからもらった。「旗を持った少女が炎をバックに瓦礫の山に立つ」という松蔭くんのまだ作っていない写真作品のアイデアをほとんど抽象思考のできない僕がちょうだいするとこうなるわけだ。彼がいなければこのシリーズ自体始まらなかったかも知れない。感謝。
◎太極旗のデザインはかなり古いものらしい。しかし僕は昔、あれは日の丸の真似だと思っていた。
◎日の丸のデザインは間抜けでカッコ悪いと思っている韓国人の人は多いらしい。この絵を描いていて、僕はその気持ちが少し分かった。信じない人は太極旗を十回くらい模写してみるといい。
◎このタイトルをパンフレット用に英訳する際、初め無難に「Beautifull Flaggs」としたが、どうも異和感があり、かといって「A Beautifull Flag」でもなし、結極「Beautifull Flag」とした。〝我は我人は人されど仲良し〟とは、ごく少数のインテリが自身の精神的健康を犠牲にしてやっと得られる特殊技能のことであり、それを強要する啓蒙的作家に僕は断じてなりたくない。
P.S.
このシリーズの製作はまだ続く。会田にしては、ましてこのテーマにしては暴力やエロが足りないと感じている人には、次回作で期待に応えたいと思う。次回の展示は8月9日〜21日東京ビッグサイトで行われる美術イベント「オンキャンプ/オフベース」になるだろう。その後もフォークゲリラや紙芝居屋のようなフットワークの軽さで〝出前展示〟できたらと思う。」
(1996年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。