アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

水戸アニュアル97「しなやかな共生」。1997.4.5~6.1。水戸芸術館現代美術ギャラリー。

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水戸アニュアル97「しなやかな共生」。1997.4.5~6.1。

水戸芸術館現代美術ギャラリー。

 

1997年5月4日。

 

 行ったこともないのに、そこの展覧会で行われた催しのパンフレットだけは買ってあった。「こんどはことばの展覧会だ」。言葉を一般の人達から募集し、それをパネルにして、ズラーっと展示してある。イチハラヒロコというアーティストのプロデュース。写真でだけで見て、行きたいなと願望だけは変に膨らませていた。でも、水戸芸術館は遠かった。

 写真で見る水戸の建物はいい意味で変わっている。妙なとんがり屋根があり、ビルの上にコンクリートの庭が広がっていると思った。とにかく、その空間そのものがアートにふさわしい感じだ。などと思うのは、しゃらくさいと自分でも感じる。たぶん、簡単に行けないから余計にいい、と思ってしまったんだろう。

 

 ちょうど茨城で仕事があった。仕事が終わってから、電車で40分くらい乗って水戸へ戻る。最終入館が午後6時、駅に着いたのは5時を過ぎていた。バスよりタクシーが速いと思い、スタートしたら駅前のゴチャゴチャを抜けるのに時間がかかって、せこい後悔をしながら向かう。「芸術館の方ね?」。運転手が念を押したのは、駅の逆の方に近代美術館があるせいなのを初めて知る。

 

 水戸芸術館は、入り口から適度に狭い階段を登ると気持ちいい乳白色の空間が広がっている。光の取り入れ方がうまいせいだろうか。そんなに広い感じもしないが、息詰まる狭さからは、さらに遠い。

 

 入口には、ビーズで出来たきれいな暖簾があり、それも作品で、くぐると銀色の平面が広がる。銀の紙でくるまれたキャンディが敷き詰められている。どうぞ、お持ち帰り下さい。と、書いてあるから3個ぐらい取ったら「お一人様、1個でおねがいします」とも書いているのに気付き、2つくらい戻す。たぶん、その空間のせいもあるのだろうけど何か少しだけ、ホワッとした気持ちが広がる。フェリックス・ゴンザレス=トレス。38歳で96年にエイズで亡くなったらしい。

 

 ミルク色の四角い部屋が並んでいる。固い感じがほとんどしないのは、大きさが心地よく不揃いなせいかもしれないが、人が他にいないくらいの静けさだから気持ちいいのだろうし、仕事を終えた心地よさも手伝っているのかもしれない。

 

 写真が大きく引き伸ばされている。写っているのは、人の体。それは、どうやら40歳の人の体のアップのもあるし、何かで傷が残った体もある。40歳の体は結構傷んでいるように見える。でも、それから何年か経って自分がかなり40に近づいていても、自分の体はもっと軽く気楽なままなのを、その時は知らない。ただ、その写真にこれを撮りたいから撮りました。と、説明が何もなくても、分かる強さがある。石内都。1947年生まれ。

 

 自分の子供に障碍があるのをきっかけに、というのも変化もしれないが、その戸惑いや迷いや、何よりそうしたことで生じる毎日の具体的なことを含めて作品にほぼストレートにしている。これがアートなのか?作品といえるのか?という批判はすぐに想像できるが、普段はじっくりと見られないという好奇心も手伝って目を離せないものがある。よく、書物である時はどうも避けてしまうのに具体的な訓練器具や率直な日記や「障碍児の第一の敵はその親である」と名付けられた作品があったりすると、避けて通れない感じがする。和田千秋。1957年生まれ。

 

「しなやかな共生」。

 そのテーマは、作品を見てもピンと来なかったが、見終わってからも充実感はあった。

 元々、共生という言葉は、言葉そのものには関係ないはずなのに、どちらかというと、微妙な使われ方をされることが多い。どんな人間だろうが、どんな生き物だろうが、世の中に存在している以上もう一緒に生きている。共生を決意する、とか、共生を考えるという言い方がソフトな傲慢という印象もあるからだ。

 

 ということとは別に、この美術館はもう一度来たいと思う場所のままだった。敷地内に三角形をつなぎ合わせたアルミのような質感のタワーが建っている。ウルトラマンなどの特撮ものに出てくる基地といった感じの建物。100メートル近くあるらしい。別料金を払って登る。エレベーターに乗って上に行く。頂上は狭い空間で潜水艦のような小さな丸い窓があるだけだった、確かに水戸の町は良く見えた。しばらくいたら、またエレベーターが下がって、上がってくる。若いカップルがやってきた。狭い空間にこちらは一人なので、何となくいたたまれずにすぐに降りてきた。

 夜になっていた。

 その空間にもう少し居たくて、施設の中にある喫茶店でトーストとコーヒーで少しゆっくりしてから、宿泊しているホテルへ戻った。

 

 

(1997年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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