アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

書籍 『性と芸術』 会田誠。 

『性と芸術』 会田誠

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   会田誠は、アート、それも現代美術と言われる分野に興味を持たせてもらった「恩人」と、個人的に一方的に思っている。

 情報誌に、ホームレスのための城のようなダンボールハウスを制作し、写真としては残っているが、実際に新宿に設置したら、どこかへ行ってしまった、というような作品への説明が載っていた。

 

それを読んだとき、説明し難い気持ちになって、同時にとても強い興味を持てて、それまで現代美術だけではなく、アートや美術全般に全く関心がなかったのに、急に見たくなり、それ以来、20年以上、細々とながらアートを見続けている。

 

 その後、自分にとっては意外なことだったのだけど、辛い時ほど、アートと言われる存在に、気持ちの底の方を支えられてきたし、会田誠の作品も、個展などがあるたび、可能な限り見てきた。同時に、何冊か本も書いているアーティストでもある。

 

 2022年秋の段階での書籍の最新作を読んだ。

 作品を制作するために、これだけ膨大な思考があるのを改めて知ったし、作者本人が、これほど作品制作の過程まで明らかにするのは初めて読んだと思う。

 

 

(※これから先、女性蔑視や性暴力ではないか、と批判を浴びた「犬」という作品についての話題が中心になります。そうしたことについての拒否感がある方は、ご注意してくださるよう、よろしくお願いいたします)。

 

 

 

 まず、貴重だと思われるのは、1980年後半の東京藝大の雰囲気を、会田個人からの視点に限られているとはいえ、広く伝わるように、きちんと書いていてくれていることだと思う。

 例えば、当時の東京藝術大学の油画科では、とにかくヌードを描いていたらしい。

 

 ただし描く対象はヌードモデルであるが、それを光と影を正確に写す、19世紀以前の西洋写実画の技法で描けば褒められる--- というものでもなかった。その段階は予備校でクリアしてなさい、大学に入ったら次の段階へ行くー という暗黙の了解が、教員と学生の間であった。

 

  もう少し詳しく言えば「具象画から順次、抽象画の要素を取り込んでいきなさい。その先に自分の中で必然性が生じたならば、完全な抽象画になっても構わない」ということだった。

 

 なぜそのような指導になるかと言えば、それが20世紀の世界的な美術の潮流だからである。それが主流にして正解なのだ。藝大の油画科とは、そういうものと常にシンクロすることを旨としていて、そこに誇りを賭けているセクションだった。そこで尊ばれている概念は「世界」であり「進歩」だった。つまり逆に蔑まれている概念は「日本」であり「特殊」であり「保守」だったわけだ。 

 

しかしそのような教授陣の指導も、当時の私のように糞生意気な学生には、時代遅れに感じられた。

 

 

 そして、当時の流行もあり、絵画も描かない大学の学部生だったのだけど、大学4年生になる頃には、考えが変わった。それは、急にというよりも、さまざまなことがあった後の変化のようだった。

 

 私は学部時代、絵画をほとんど描かなかった。しかしそれはさほど珍しいことではなかった。「絵画の冬の時代」の美大生として、主流派までは言わないものの、ある一群の一人に過ぎなかった。なんなら「当時の流行に乗っかっていた」とさえ言える。
 私はその流行ものの「反抗的でシニカルな美大生」から引退することにした。そして優等生的抽象画(志向)でさえない、よりによって黴の生えた過去の遺物=具象画を描くことにした。そっちの方が一周回って反抗的に思えた。 

 そして、作品「犬」につながっていく。

 

 

作品の構想

 

 基本的に芸術関係者、特に製作者であるアーティストは寡黙な印象がある。もちろん、普段から無口ということではなくて、ただ、好きで観客としてアートを見続けてきた印象に過ぎないけれど、作品の意図を説明することは、俗な言い方だけど「カッコ悪い」と見られる業界ではないか、と思っている。

 

 だから、今回、書物とはいえ、これだけ詳細に書くのは、相当の恥ずかしさもあったとは思うのだけど、それだけに貴重な思考の過程のはずだ。

 

『犬』のイメージが浮かんだ日時はよく覚えていない。1989年の春であることは間違いないのだが。しかし場所はしっかりと覚えている。上野公園の中にある東京国立博物館の展示室――同館が所蔵する国宝・狩野永徳『檜図屏風』の前だった。

 

私はこの絵の前で長い時間佇みながら、日本の絵画の真髄が分かった気がしてきた。そうして呆然と眺めているうちに、私の頭の中である図像がモヤモヤと生まれ始めた。それが『犬』の原型的なイメージであった。

 

そこからさらに、日本的であることとは何か。会田誠が感じていた日本画観などを考え、作品として完成したのが「犬」だった。

 

『犬』製作の第一義は、〈日本画解体〉あるいは〈日本画維新〉とでも呼びたい、鼻息の荒かった当時の私の、新たなる企画の一環であった。そしてその第1弾であった。つまり「出撃の狼煙」だった。
 狼煙で最も大切なことは「目立つこと」である。最も避けるべきは「曖昧さ」である。美少女もSMも四肢切断も、そのために計算して選ばれたモチーフに過ぎない。
 

 

 

現代日本

 

 そして、今に至るまで批判の対象になっている「犬」のモチーフについても、会田は明確に書いている。「日本画維新」を目指すとしても、そこに当時(1980年代後半)の「現代日本」を入れなければ、現代の作品にはならないはずだからだ。

 

私が切り取るべき「現代日本」とはなんだろう---。
その結論が「ロリコン」であったことを、私は今でも後悔していない。

 

その「ロリコン」には、性的な意味合いだけではなく、歴史的な必然があると、会田は考えていた。

 

日本では女性側の「いつまでも幼く可愛くありたい」という自発的な願望と、男性側の好色な視線で、妙な形で相互補完し均衡状態を保っている場面が多い。

 

 そうした「ロリコン」は、特に世界的な基準で見れば、とても恥ずかしいことでもある。

 

その文化だけが、圧倒的に自分たちにとって必然性があると感じてしまうのは、一体どうしたものなのか。


 その理由について、私はだいたいの目星はついていた。私個人が23年生きた体感からしても、勉強して得た歴史的知識に照らしても、それが1945年に大日本帝国が太平洋戦争で敗けたことに遡る話であることは明らかだった。

 

これによって日本の「男性性」「父性」は根本的に弱体化させられた。戦後日本は人類史上かつてないほどのアンチ・マッチョな社会となった。

 

 そのことによって、現代日本の「ロリコン文化」があると会田は見立て、そして作品化していった。

 

今回においてやれることは、「画中の女性を思春期くらいの幼い年齢に設定すること」と「人相をよくいる量産型アイドルのような凡庸な可愛らしさにすること」くらいであった。それで「1945年の大日本帝国の敗戦」云々といったことまで嗅ぎとってくれる勘の良い観衆なんていないのかもしれないが、それでも私は観衆に期待したかった。

 

 私も、何度かこの作品を見たけれど、敗戦のことまで思い至るような勘の良い観客ではなかった。それでも、性的なことだけではなく、なんだかモヤモヤしていたし、その後、戦争画をテーマにしたことと、ここまで関係があるとは思わなかった。

 

 そう、私の『犬』は批評である。
 私がたずさわっている仕事は「現代美術」であり、そのことを保証しているのは、私の作ったものに批評性が宿っているからだ。逆に言えば、批評性がなくなったら、その時点で作ったものは「現代美術」の範疇から外れてしまう。

 

 それから30年以上が経つけれど、会田誠がいつも考え続けて作品をつくっていることは、平凡な観客にも伝わってきていると、思っている。そして、2020年代の今も、「犬」に含まれているさまざまな批評性は、有効だとも感じている。

 

 

 

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