アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「岡崎京子展。戦場のガールズライフ」。2015.1.24~3.31。世田谷文学館。

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岡崎京子展。戦場のガールズライフ」。2015.1.24~3.31。世田谷文学館

 

2015年3月12日。

 

 ずっと関係がなくて、世の中でもっとも遠い存在だと思っていたところがあった。岡崎京子に対して、少し距離が近くなってきたと思えたのは、アートを通してだったけど、その時には岡崎京子という人は事故にあって、作品を作れないような状態、というよりは、詳しく分かるわけもないけれど、完全に命に関わるような事で、そして、その詳細も分からないまま、時間がたった。

 

 おしゃれだったり、キラキラし過ぎていて(自分にとって)遠かった存在なのが、少しずつ普通に読めるようになってきていて、そうすると、やっぱり何だかすごい、というのは分かるようにもなってきた。そんな勝手な思い込みみたいなものが空回っているのだけど、今回、世田谷文学館という場所で展覧会をやると知って、トークショーにも(抽選にはずれたが)申し込んだくらい楽しみにはしていた。遠いと感じていたのだけど、過ぎてみたら、自分の生きていた時代の人だったのだろうと、改めて思ったりもした。

 

 芦花公園駅に降りる。徳富蘆花という名前だけは知っている文豪が住んでいたから出来た公園で、そしてついた駅名で、ということしか知らず、初めて向かう施設。展覧会の構成を祖父江慎がやっていると知り、よけいに行きたくなっていたけど、ポスターが、すでにかっこいい。こういうかっこいい女の子を描いていて、そして、こういう子とは絶対つきあえないどころか話もしてもらえないような、自分のひがみがあって、そして、すごく都会的で、そういう事で遠く感じていたんだった、と思い出したりして、そして、そこから時間がたって、なんだか少し近づいた気がしていて、こちらが少し成熟したのかもしれないし、何より時間が長くたったことを、改めて感じたりもした。

 

 展覧会には、原画があって、それはこういう展覧会にもよくあって、その原画を見て、うまいと思ったり、いろいろ感じたりもするけど、会場という立体に、大きい絵をコピーしていたり、小さい部屋にしていたり、原画の上にガラスに書いている文字がうつったり、そういうあれこれの工夫のおかげで、よりイメージが広がっていて、最後の方では「へルタースケルター」の映画の衣装などもあったりして、とても豊かな印象が残った。

 

 ありがとう、みんな。という言葉が、今の岡崎京子が出したメッセージだということを知った。

 

 館内での喫茶店でケーキとコーヒーで、休憩して、カタログなども買って、そして、時間がたって、帰って来た。

 行ってよかった。

 

(2015年の時の記録です。多少の加筆・修正もしています)。

www.setabun.or.jp