2019年8月29日。
たぶん妻のほうが、若い頃にずっと好きだった、というか影響を受けて、それも、特別というよりは、日常的な魅力がある作品を作り続けてきた人で、私にとっては、ミスタードーナツのプレゼントで、いつも欲しくなるようなものを、ずっと作り続けている人だった。
平日なのに、施設に入ってすぐのショップに人がたくさんいた。最初に、つい見てしまったのは、売り切れるのではないかと思ったりもしたからで、行く前にサイトで、ティーシャツが欲しいな、妻が着ると似合いそうだと思ったりもしていたのに、サイズがMしかなくて、あきらめたりして、それから、展示を見に行った。
原画があったりしたが、若い頃から作風の変化がすごく少なくて、それと並行して、かなり成功したあとだと思うのだけど、アトリエを作って、そこで抽象画のような作品があったりして、そのあと、オサムグッズといわれる生活の中にあるバッグや、小物や、食器や、服や、そうしたグッズが壁に並んでいて、それは、見ていて、あ、欲しかったな、今もあればうれしいな、と思えるものばかりで、どこか幸福感が漂ってきて、気持ちの中にまで満ちてきている感じがした。
全部かわいいものだった。すごいと思った。ただ、やはりこれは、高度経済成長の幸せな感じもした。後日、「OSAMU GOODS STYLE」(ピエ・ブックス)の中に、もちろん本人談なので、どこまで本当かわからないのだけど、すごく計算して、この作品群を作っていて、そして、この本の中で、こんな言葉まであった。
「オサムグッズのデザインに関して、何故あんなにアメリカナイズされているのか、とよく質問されることがありました。これに答えて、いつもぼくは、戦後日本は現在に至るまでアメリカの植民地であるから、と説明する事にしています。たいがいの人は驚きます」
(p233-234).
知性の人でもあることを、改めて知った。
(2019年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。