2002年6月7日
展覧会は、7月3日までだから、行きたいという話になったのが5月の中旬。ただ、そのサイトを見たら、事前予約が必要で、それも5月24日に6月から会期中の全部の予約を始めることになっていて、もしかしたらそれが遅れると行けなくなるのかもしれない、と焦る。
考えたら、この世田谷文学館で、文学だけではなく、もう少し広く展覧会を始めたのを知って見に行ったのは、岡崎京子展だったり、原田オサム展だったりして、かなりのベテランになってから、こうした展覧会をするのが通常のはずだったので、ヨシタケシンスケ氏は、デビューしてから10年くらいだから、これだけの早さで開催されるのは異例だけど、それだけ人気がすごいのだろうと思う。
そうなると、その日に早く予約をしないと、もしかしたら行けなくなるのではないかと思い、5月24日には午前10時ぴったりにサイトにアクセスをして、そしてチケットを2枚予約した。
よかった。
ヨシタケシンスケ展かもしれない
少し雨が降っているかもしれない。
そんな微妙な天候で、それに、コロナ感染者のことはニュースにもなりにくくなっているけれど、それでも、持病のこともあり感染しないように、というのがずっと重要なことであり続けているので、少し遠回りになるのだけど、都心部を通らないような路線で、会場に向かう。
何年か前、その時はコロナ禍以前だったから、普通にマスクもしていないし、哲学カフェのような企画もあって、そこにも参加して、たくさん話をして、聞いたりしていたのに、それも今では無理になっていて、たった3年くらいで、いろいろなことが変わってしまった、と改めて思う。
世田谷文学館に入って、すぐ目に入ったのは行列だった。
それは、ショップに並ぶ人たちで、少し遠目に見ても、作品を生かしたグッズが揃っているようで、少し気を緩めたら、欲しくなるようなものだと思えた。
ただ、今は、展示会場に行かないと、食事をしたせいもあって、午後12時半くらいになっている。
予約してチケットはプリントアウトしていたので、そのまま2階に上がる。そして、ロッカーに荷物を入れるために、また違う袋に入れ替えてトイレに行って、それから、会場に入る。
人が、思ったよりたくさんいたかもしれない。
最初に、ヨシタケシンスケがずっとつけているアイデアメモというような一番小さいサイズのファイルに入るメモに、さらにとても小さいサイズで絵と文字が書いてある。老眼鏡をかけないととても見えない。それが、壁一面に、何百枚と並んでいる。
フラッシュをたいたり、動画でなければ撮影OKなので、かなりの人数が、それぞれ気に入ったメモの前にスマホを持って行って、撮影をしている。そのメモは、おそらくは日常的なことで、だけど微妙に違和感のある光景とか、思いついたことなどが物凄い量で並べられていると、それ自体が、何かの意志を持った作品に思えてくる。
一応の流れはあるようだけど、順路のようなものはなく、ところどころに、作品に登場するキャラクターが何かを語る看板のようなものが置いてある。「つまんなそうに見ていると、係員がこちょこちょしてくれるかもしれない」。「元カレと、ここで会うかもしれない」。そんな文字とキャラクターに伝えられると、何か読んでしまう。
会場の中に、ずっと声が流れる。
それは、テレビの中で、おそらくパンか何かを作っている映像に「こねてー、のばしてー」というメロディーに乗せた言葉で、その響きが、この会場の中の空気を少しゆるめていると思う。
あちこちに、微妙に迷路のように、いろいろなものがあって、ヨシタケ氏が集めている「お気に入りのもの」とかも置かれていて、それは、なんだか親しみのようなものも感じさせる。
体を動かす
人が入るボックスのようなものがあり、それは中に入った人が、その中にある絵の入ったフダをとり、セッティングし、それを体で表現し、外にいる人が何かを当てる、というものだった。
妻とやってみた。
私が、さいしょにひいたふだはブランコで、妻がすぐに当てた。
次は、妻が中で、片足でトントンしているので、最初、プールといい、違ったので、「耳に水が入った」と言いかえたら、あたりだった。
細かすぎるジェスチャーかもしれないが、確かに楽しかった。
それから、大人を黙らせるゲーム。
少し遠くの場所で、3人の映像の(ヨシタケ氏の描いた)大人がいろんなことを言ってくる。その口の部分に穴が開いていて、手元にあるリンゴ型のスポンジのボールを、その中に入れると、その人物が「あー、おいしい」と言って、うれしそうな表情になる。
ほんの2メートルくらい先の穴になかなか入らず、妻と二人で、いつの間にか夢中で投げていた。
ちょっと笑っていたと思う。
なんだか楽しくなっていた。
最後に、1枚カードを引いた。
「あなたのみらいはこれかもしれない!でも、ぜんぜん違うかもしれない」
妻のには、「メチャクチャおいしいつくだにやさん」
私のには「ちょうのうりょくしゃ」とあった。
まだ間に合うのだろうか。
ショップと絵本
ショップでは、ポストカードやTシャツや雑誌や輪ゴムなどを買った。
久しぶりに買い物をした気持ちになれたけど、妻がうれしそうなので、それがよかった。
そのあと、休憩のスペースのような場所で、絵本を読んだ。
この2冊を読む。絵本に登場する、お母さんの、子供の理屈に、だるそうだけど付き合っている感じがよかった。
他にも、3冊を読む。
中には、第1版91刷 というものもあった。自分が描きたいものを描いて、それだけの売れ行きもあって、なんだかうらやましくなった。
だけど、読んでいて、登場人物が、自由で柔軟で、理想の息子のようにも思え、そして、これは、多くの人に受け入れられて当然だという気持ちには確かになった。
まだ、ショップも混んでいたし、会場にも人は向かっていた。
デビューから、10年くらいで、この場所で展覧会をするのは、これだけの人気があってのことだと思った。
(2022年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。