アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「明るい絶望」中村政人 個展。2015.10.10~11.23。アーツ千代田3331。

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「明るい絶望」中村政人 個展。2015.10.10~11.23。アーツ千代田3331。

 

2015年11月15日。

 どうしようか、と思ったのは、写真だけ、と思ったからだけど、新作もあるし、何しろトークショーに行こうと思ったからで、3時のトークショーに行ったから、やはり、そのあとに展覧会を見にいこうと思っていた。

 

 その前にトークショーでは、気がついたら中村政人が会場の左側のところにずっといて、着ていたTシャツが黒に黄色い四角のようなデザインで、欲しくなったのだけど、トークショーの間に、本人には似合うけど、他の人ではあの黄色の強さは着られない、と思うようになった。

 

 この場所そのものを作って、そして、おそらくは自分の思う通りに近い形で運営しているのだろうと思うと、それは、とんでもなく凄い事なのだろうな、と思ったりもする。村上隆が、まったく認めてなかったのに、そのあと、病気で倒れるほどがんばっているんだ、というようなことを知って、今では認められるようになった、といった話をしていて、考えたら、何によって、そんなに亀裂が入ったのだろうと思ったりもしていた。その話は、トークショーでの会田誠の発言で、さらにその事を思うようになったのだけど、その気持ちはどこかに持ったまま、だけど、どうして写真主体の展覧会をしようと思ったのだろう、と疑問も持ちながら展覧会に入った。

 

 入り口で、説明書きのようなものを渡された。写真が、どうやら600枚以上あるらしい。そして、その説明も、パンフレットでも5ページくらいで、それは詳細で、丁寧なものだった。この人は教育者なんだと感じる。

 

 中村が、80年代後半に韓国へ留学した時からの写真が数多く並んでいた。その頃の韓国の雰囲気がけっこう伝わってくるというか、まだ貧乏な感じも強くて、その中で、これだけ写真を撮って残して、ということをしていて、それを、これまで発表などもしないで来て、それを今のタイミングで発表する、という中村の気持ちみたいなものが不思議だった。

 

 それから、90年代に入って、中村と村上展なども一緒に開催したり、そのあとに、ギンブラートや新宿少年アートとか、街を舞台にゲリラ的に行ったり、それから、大阪でもハイレッドセンターの活動を模したような「大阪ミキサー計画」というパフォーマンスアートをしていたり、その映像も記録されていた。その中で村上隆はよく出演していて、警察への対応もしぶとくて、今の印象とあまり変わらないけど、やっぱり若い。

 

 そして、記録しているのが中村だから、その二人がその活動の中心だったのではないか、と思えたりもして、その過ぎた時間のことを目の前に見せられて、それで何とも言えない気持ちにもなったりする。それから、25年がたっていて、そして、その時の記録がちゃんとしてあって、特にパフォーマンスアートは記録しないとなかったことになってしまう、とか、記録する大切さを他人事ながら身を切られるような気持ちになり、そして、途中に村上隆と中村は同じ誕生日で、中村本人のコメントで同じ日に生まれた人間は違う道をたどる、みたいなことが書いてあって、会田の発言を改めて思い出す。そして、その写真は、1994年頃で終っていて、その時間すら20年前になっている。

 

 新作は、自分の実家にあったフランス人形とか、各地のお土産物の人形とかを、等身大にしたものが並んでいて、変わった迫力がある。さらに、もう一つの新作はなぜか見逃して、出てから再入場して見た。クルマのボンネットみたいな鉄板が並んでいる。トヨタや、ランボルギーニとか、ベンツとか世界のメーカーの名前がある。スタッフの方に聞いたら、形は中村が製作し、それをメーカーに頼んで塗装してもらった、ということらしい。一つはトヨタの本社で行ってもらったので仕上がりが明らかに細やかできれいで、ということも教えてもらった。この作品は、この時代の工業技術の記録にもなっているし、現代を表してもいると思った。

 

 村上隆と、素材は違うが、やろうとしていることは、実はとても似ているような気がして、水と油だけど、すごく似ていて、ということが、同じ誕生日にも出ているようにも、妄想に近く思った。そして、偶然だろうけど、久しぶりの日本での村上の個展と、中村の個展が同じ時期というのは、何ともいえない気持ちになる。この個展の中にある気配は、やっぱりセンチメンタルなのだと思う。

 

 だから、鑑賞者である、自分の生きて来た、この20年のことも思った。ほとんど介護でうめられて、その他のものが入らないような時間の蓄積だったけど、その間もアートに興味を持つ事で、ぎりぎり乗り切って来たとも思っているので、その持続のために村上隆への興味があって、それを思うと、不思議な気持ちになり、過去を振り返り、何ともいえない気持ちにもなった。

 

 

(2015年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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