2002年9月1日。
奈良美智と村上隆のトークショーがあるため、だった。今回の私の動機の80%くらいだった。
そのトークショーを見るために、時間もそれに合わせた。特設ステージの前は人がいっぱいで、そして、床に座るしかない。数千人単位の人が、いつのまにか集まっている。そして、そのステージに2人があらわれる。
いろいろ話していたが、NHKの「新日曜美術館」の放送を元にしたDVDの宣伝でもあった。だけど、村上の「いろいろマンガとか、そういうサブカルチャーの影響うんぬんと言われるけれど、一番、気をつけているのは、どれだけ、正直に自分を出すか、なんですよね」みたいなことを言っていて、それはホントに聞こえたし、見えた。こういう言葉は、アート界では無視されやすいのだろうか。戦略うんぬん、の方が語りやすいのだろうか。
でも、戦略が強調されすぎると、それは会田誠が怒っていた「アートは科学で⋯」と見下すように言ったらしいアメリカのアート関係者と同じになりすぎていて、そして、そのことに実は自覚がない、というだけなのかもしれない。
さらに、奈良の個展の話題は、故里の青森でやった際の話の断片だけでも、何だか感動的な話だったし、いろいろと作品に影響が出てきて、それを言い訳にしたくないから、もうテレビなどには出ない、と言っている奈良の姿は、一時期のニューミュージックと言われる人達の「テレビは出ない宣言」とは確かに違うものを感じた。その時に、ホントに思ったことだけを言おうとしているように見えたせいだろう。
それから、ステージではゴージャラスと鉄拳のパフォーマンス合戦というのにうつっていって、その時は人は散らばっていって、私達も遠くからその音を聞くだけだった。みーん、みーん、みーん、みーん、みーん、と繰り返すロックンロールなゴージャラス。それがアートといえば、そうなのだろうが、本人が一番楽しそうな松蔭浩之。その時は、鉄拳が勝った(?)らしい。
その後に、マヤマックスのライブペインティングになった。
周りを囲んでいる人達とスムーズとは言えない会話をしながら、そして、絵を描き出す瞬間になったら、マヤマックスの姿の輪郭線が太くなった。周りとは違った存在になった。すごい、と思った。
(2002年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。