アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

あいちトリエンナーレ2019②。「声枯れるまで」キュンチョメ。2019.8.1~10.14。円頓寺エリア。

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あいちトリエンナーレ2019②。「声枯れるまで」キュンチョメ。2019.8.1~10.14。円頓寺エリア。

2019年10月10日。

 

 弓指氏の展示の上の会場で、毒山凡太朗。映像は、台湾に行って、日本語や日本の歌を歌えるか?と聞いて、それを実際にしてもらう、という映像。想像以上に、そして、今でもこれだけスムーズに話せるから、それは、もしかしたら巣鴨?というくらいに見える。

 それから、その奥にさくらの木を再現しているような立体。その花びらが、ういろうで作られていて、だから、腐らないように、この部屋の気温がさらに低くなっているというのを知るが、その出来上がり具合はすごかった。

毒山 凡太朗(S11) | あいちトリエンナーレ2019

 

 

 そこをあとにして、さっき予約した会場に行く。      

 キュンチョメ。予約した時間になって、会場に行き、そこへ向かうと、受付が少し混乱していた。そして、中にはいると、スクリーンに筆で字をどうやら二人で書いている映像が映っている。「私は世治」。親と子が二人で一本の筆を持って、名前を書いている。最初は、親が子供に名付けた名前。もう一つは、子供が自分で決めた名前。名付けられた名前の上に、決めた名前を書いていく。そんな映像。

 

 「声枯れるまで」。テープがある。3人分の音声が入っていて、それは一人しか聞けなくて、だから、時々、みんながその場所を気にしているけれど、会場の大きい画面には、3人の、トランスジェンダーの人がインタビューに答え、それは、穏やかに、ずいぶんと話しづらいことを話しているはずだけど、それをあまり感じさせない。今までの作品もそうだけど、かなり難しいテーマをいつも取り上げているような気がして、キュンチュメのインタビューの能力が相当に高い感じるのは、こうした話をきちんと聞くこと自体がとても難しいと思うからだった。

 

 そして、3人とも、最後は自分で決めた名前を叫ぶ。ずっと大声で、キュンチュメも一緒に、それは、名前を実際に口に出して、声にしていくのは、すごく肯定されることにつながるはず、などと思っていた。20年前に、現代アートに、志が近い人たちがいるような気がして、それは、こちらの一方的な思いかもしれないけれど、ドキュメンタリーとして、こうした作品を作っているようにも思えた。何より、こうして形にするのは、すごいと思った。

キュンチョメ(S08) | あいちトリエンナーレ2019

 

 そこから歩いて、もう午後7時半くらいだから、もう時間はほぼないのだけど、途中でライブをちょっと見て、他の会場がまだあいているかも、と最初に通り過ぎた場所をいくのだけど、どうやらもう終わってしまっていて、ただ、道端にほのかに明るくなっている浅い階段があって、どこも高級な食事をするお店のようだったけど、できたら行ってみたいと思えるような場所が続いていた。そのまま歩いて地下鉄に乗り、名古屋駅のそばのきしめん屋で食事をした。

 

(2019年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

 

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