2001年5月26日
3月は毎週のようにアートを見に出掛けたが、その分、予算もかかり、4月からは少しペースが落ちた。そして、5月も、このイケムラレイコが、最初に見たアートになった。その分、4月は「リトルダンサー」、5月は「チゴイネルワイゼン」と何年かぶりで映画を見たが。
佐賀町で、イケムラレイコの個展を見た。
ここは去年、エキジビットスペースが終ったところのはずで、その後何があったか分からないが、またアートスペースとして存続していた。部外者にとっては、ほとんど何も変わらないことだった。
イケムラレイコは、去年、豊田市立で見て、原美術館で見て、ずっとよかった。その内面的な感じは、暗く見えても、どこか気持ちよかった。
今回も、去年見たのと同じのが、あった。新しいのは、立体が多かったようだ。アタマの少し欠けた少女の像。ぶら下がっている女の子の像。去年、原美術館の学芸員の「前より解放感に満ちてきてますね。最近のは」という言葉を裏切るかのような流れ。でも、そのぼわっぼわっとした、ざらっとした、妙な暗さはなつかしくもある。
妻が言った。「ずばり、こうだと思う」。
これは女の子の憂鬱というか絶望というか、それは、男性の自分にとっては理解しにくいとは思うが、当然だけど、誠実な作家という印象は変わらない。押し入れな感じというか、どこか貧乏な感じもあって、それはここ何十年かの日本という国の気配に忠実な感じもする。そして、ここから先に何もなさそうな感じ。女性の方が強く感じていたのかもしれない。そんなことを思わせるような作品だった。
(2001年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。