2000年5月3日。
豊田市美術館は2度目だった。2年前の夏、仕事の帰りに寄って、きれいなところだと思い、今度はぜひ妻と一緒に来たかった。母の病気のこともあって、気持ちがすさんでいる時にこそ行きたかったのかもしれない。心のどこかで最後のチャンス。と分っていたのかもしれない。
ホテルのある金山から1回乗り換えて、地下鉄で約1時間。長い時間だが、楽しい。妻といっしょだから。駅で降りて、歩く途中で喫茶店を見つけ、そこで食事。ちょっとオシャレな感じ。町自体は休みの気配で人が少ないようだ。大学の時の後輩がこの町に住んでいるので、連絡をとったが、電話が通じず、後で連休を利用して、千葉の実家に帰っていたと知った。
美術館の中も休みのわりには人が少ない。常設の1から階段を上がり、小さな部屋にイケムラレイコの立体。そして、乳白色のガラスの壁から光りがさす3の部屋。ここにはイケムラレイコの絵。この人の作品が見たかったので、よかった。ぼんやりしていて、暗そうで強い絵。ぼーっと見ていると、気持ちがよくなる。この天井の高くて、光りがさしてきて、それだけに余計にいい。文子は気にいったようだ。その1年後、佐賀町でイケムラレイコの絵を見て、妻は「ホントに自分の気持ちそのまま」と言っていた。同じ年、原美術館でも見て、その人のことを学芸員に妻は聞いていた。そして、その絵から、光りのささない室内の4へ。この流れは、とてもいい。少し坂道があったりして。そこにはフランシスベーコンもあった。
「空き地」展。
2年前の「なぜ、これがアートなの?」と同じように、広めの1室でやられていた。入り口にイチハラヒロコの恋みくじ。そして、中は好きな作家が並んでいて、ものすごく期待していたのだが、でもその中が広めとはいえ、10個くらいのブースに区切られていて、やっぱりこの美術館の全部を使うように、広めに使えばいいのに、と思った。
赤瀬川原平。宇宙をつつむ缶詰め。この人が、こんなに広く知られるようになるなんて、という思いは、どんな人が一番強く感じるんだろう。と、2年前のデュシャンの便器が大事そうにガラスのケースに入れられていたのと同様に、大事そうに台の上に載った缶詰めを見て、思った。
大岩オスカール幸男。小沢剛。普通より1、5倍の大きさにした回る遊具。これを見て、そのことで大人が今乗って、同じような気持ちを味あわせるためだと言う。おもしろい。
川俣正。パリかどこかに意味なく高いクレーンを配置するプロジェクト。福田美蘭。模範的な作品と思う。須田悦弘。ブースには何も置かず、係員のイスの下に小さな雑草(木彫り)があるだけだ。ああ、頭がいいだな、と改めて思う。そして、佐倉密コレクション。この人は親の代からの名古屋のコレクターらしいが、会田誠、河口龍夫、坂井淑恵、ミスター、岡崎乾二郎——どれが、どの作品だか、あまり明確に思い出せないほど、たくさんでそれも小さい作品が多かった。でも、よかった。こういうコレクターがいることも含めて。見終っても、もっと広いところで見たかったという気持ちは変わらない。
でも、この美術館はきれいだった。
おもしろかった。
スタッフに、一緒に説明を聞いた3人の若い女性と帰りの電車でもいっしょだった。
(2000年の時の記録に、2001年に多少の加筆をしています)。