2004年9月11日。
本で見たいろいろなアーティストの中で、妻が妙に気にいった人がいた。魚とかをガラスのビーズで囲んだような作品。まだ、個展をそんなにやってもいないのに、注目されているそうだ。ただ、私にとっては正直いって、その中のいろいろなアーティストの中では、それほど目立ったようには思えなかった。
だけど、その名前を憶えて、気持ちの中で注目しているせいか、なんだかあちこちでその人を見る機会が急に増えたような気がした。8月に買ったブルータスでプロダクト(?)デザインの特集で、冷蔵庫をデザインしていた。透明なアクリルで、中のモノが透けて見え、それがプリズム加工(?)のせいか、いろいろな色や実際の数より多くなったりとかしていて、それは、どこかで見たような何だか古いような、だけど、それが巻頭だし、その評価の高さが不思議なくらいだった。それでも、妙に気になるアーティストなのは、なんでだか不思議でもあった。
京橋で個展をやっているのを知り、妻と見に行くことにする。京橋の駅を降りて、わりとすぐ、通り過ぎそうになった。白い大きいビル。イナックスのビル。
その9階。綺麗な場所。ギャラリーが2つあった。一つは建物のフィギュアの世界。これは、自動販売機まで紙で作ったりしたのがおもしろかったり、ワールドカップの試合の一場面を再現していたりと、なんだかおもしろかったが、名和の作品はその前に見た。
くらがりの中、スクリーンに大きい画像。泡がいっぱい。ぶくぶくぶくぶく。それだけ、といえば、それだけ。だけど、なんだか見ていた。それが、柱の中、区切られたスペースのような細長い場所を見ると、9つの四角い枠のように細かい泡が出続けているのが分る。それを投影したのが画像だった。何だか関係が薄いように感じる。
それから、細長いアクリルの柱。何も見えないように見えるのに、近くで見ると、泡が上がっていく連続写真のように、泡の気泡だけが、いくつも少しカーブを描いて上がっていく姿になっているのが分る。
それだけだった。
それだけなのに、妙な落ち着きがある。奇をてらった感じがなぜか少ない。それは他の作品を見てきたせいで、なんらかの効果が上がっているせいだろうか。
もしかしたら、他の作品は動物のはく製をアクリルの箱に入れて、それが見る角度で何匹か分らないというものがあって、この箱はダミアン・ハーストか何かを連想させるせいだろうか。箱入りは何だかかっこいいという刷り込みが出来てしまっているせいだろうか。そういう疑いは消えないけれど、作品の安定感というよりは、本人の写真とかで、なんだかハッタリ臭さが少ないように、勝手に思っているせいも大きいかもしれない。
すごく遠くを表現しているのではなく、すごく近くにあるものを、ほんの少し角度を変えて見せている。そういう感じが、安定感と、不思議さの、両立みたいなものを招きよせ、それが高い評価を生んでいるのだろうか。だから、絶賛というよりは、批判しにくい雰囲気がなぜかあるのだろうか。
30くらいなのに、そのコントロールは良すぎる気もするが、この安定感は、話題になりやすく、そして、作品も売れやすい感じがする。本人は、この展覧会のリーフレットによると、「直感で始めたことを、他の人に認めてもらえて嬉しい」とコメントを残しているらしいが、この言葉だけだと、あまりにもソツがなさすぎるようで、でも、ど真ん中、という感じで、下手すると好感を持ってしまいそうな気までする。
そのあたりも作品と似ている気がするが、他の作品を見ていくと、また自分の中で評価は変わっていくかもしれない。それも観客の勝手なことだと思いつつ。
(2004年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。