2007年2月18日。
いつもは入院している母を連れて、熱海旅行。
旅館に泊まったが、隣の部屋でみていなくてはいけないから、午前5時まで起きて、妻と交代して、それでも8時には起きて、一緒に朝食をとらなくてはいけない。つらい日。だけど、夜中に起きていて、そして、ただほとんど変化のないはずの夜景が、夜の海がホントにめいっぱい見えるだけで、疲れがとれるとはいえないけれど、つらさが減るのは本当だった。景色のいい部屋。かなり重要なポイントだとホントに分った気がした。
母も、その景色の良さをかなり気にいって、また来たいとまで言っていたのだった。その夜景の中、山の上、なんだかガラス張りの無駄に大きい建物があると思ったら、それが、MOA美術館のようだった。
入口に来て、タクシーを降りて、すぐにエスカレーターがあり、一つがかなり長いのに、何度も何度も乗って、母はよろよろし始めていて、バブルの頃には、ここで豪華そうな映像だの、音楽だの、をやっていたのかもしれないが、今日は小さな楽器の演奏会みたいなものをホールでやっていて、そして、そこに来るまでも、もう何百メートルも来ているはずなのに、まだ登らなくてはいけなくて、そして、嫌になって、さらにもうかんべんしてくれ、という気持ちを通り越したあたりで、やっと着く。妻の調子もよくない。
あとは、なんだか、母が倒れないか、気持ち悪くならないか、とエチケット袋を持って、気が気ではない感じで、見て回っていた。
ただ、紅白梅図屏風だけは、少し時間をかけた。
いったん通り過ぎて、別の場所で妻に母を頼んでも、また引き返して、見た。
梅が何だかうまかった。だけど、写真などで見るよりも軽い感じがした。枯れている、というか古い方の梅も、なんだか軽い感じ、たとえて見れば、イラストっぽい感じがした。
だけど、全体で見ると、何だか、変だった。
真ん中の川は、黒くて、そして抽象化されたデザインのはずなのに、すっきりとしているわけでもなかった。そして、考えてみれば、両方の梅が写実で、真ん中が抽象だから、アニメと実写がまじった感じが、平気で一枚の絵の中にあるわけだから、妙な感じがする。この絵は有名だし、教科書などでも見ているはずだから、知らないうちに、「日本の絵の代表の一つ」⋯そして、無知だったから、自分自身は「こんなのばっかりなんだろ?」みたいな気持ちにもなっていたような気がする。だけど、今の少しは詳しくなった知識で考えても、その前にはないだろうし、その後にもない作品だと思えた。だから、橋本治の、この絵について書いた文章。決して器用でも才能豊かでもないこの画家が、これを仕上げた時に「なんだか知らないが、オレはやったな」と思ったのではないか、ということが本当にそうではないか、と思えたのだった。そういう絵だった。変なのだけど、なにかを感じる。という抽象的な感想が正解のような気がした。
見てよかった。
その時間は、それほどでもないはずだったが、その間も母は「どこ行ったの?」と私を探して不安そうだったと妻に聞いた。
それでも見てよかった。
(2007年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。