2008年5月16日。
古い知り合いと10数年ぶりに会い、それから、写真美術館へ行った。
森山大道の個展を、大規模なものを、ここで初めてやるらしい。
2カ所で開催。
2階と3階。
レトロスペクティブ1965―2005。これは、回顧展というのだろうけど、かっこいいような響きに聞こえる。
ハワイ。これは去年、ハワイに行って撮影した、という作品。
3階のレトロスペクティブから、見た。
1960年代。
「写真よ、さようなら」。
というタイトルの写真集を出して、その後、写真が撮れなくなる、というのだから、かなり突き詰めて撮っていたことと、それができることへの敬意のようなものを感じる。
でも、60年代とか70年代とか、ここで2000年代までの写真が並んでいたのだけれど、同じ新宿だと、その時代の40年の隔たりというのが分からない。並んでいれば、同じ時代だと思ってしまう。同じように撮っているのか。同じように遠いのか。そういう風にしか撮影できない、という事かもしれない。
でも、すごくカッコいい写真なのは、分かる。
これは、特に若い人間だったら、マネしたい気持ちも分かる。
距離というものを考えてしまう。
風景と動物が近くて人が遠いのか。
後ろ姿が多いことと関係あるのかもしれないけれど。
でも、人も風景も同じ遠さにあって、動物だけが近いのかもしれない。
といった事を考えたりもする。
ただ、アラーキーと一緒に撮った、(といっても同じ時間に二人で撮っていた、というだけだけど)写真は、ちょっと違って見えた。今の時代に見えたのは、そのキャプションを読んだからか。でも、などと思う。もしかしたら、アラーキーのその時の写真も、森山に微妙に影響を受けているかもしれない、などと思う。
やや黒っぽい木のワクに写真があって、それぞれ、スキマがあって、独立した作品として並んでいる。
観客が、平日の昼間。午後3時過ぎ。なのに、けっこう多い。この美術館で、これだけ人がいたのは、私としては初めてだった。若い人間だけでなく、明らかに私より年上の男性の姿が、けっこう目についた。
この人は、やっぱり時代のヒーローなのかもしれない、と、すごくカッコいい写真である事を思った。
2階は、ハワイ。
写真の一枚一枚が大きい。木のワクも白っぽくなり、解放感がある。
でも、見ていると、やっぱり森山大道。と、ファンなら言いそうな、3階までの流れとやっぱり同じものがある。
ただ、カラーの、何が映っているか分からないような、妙にキレイな写真があって、それはおそらく、レンズを海につけて撮ったもののように思った。
その部屋の最後には、ハワイの撮影の光景のドキュメンタリーの映像と、その時の森山の写真が映っているフィルムが流れていた。この人の髪の毛のふさふさぶりは、すごい、と思った。この2枚目な感じと、写真のかっこよさと、一言もしゃべらないで、撮り続けている感じは、かなり強く結びついているかも、といっけん、対照的とも思えるアラーキーの姿を(おとといテレビで見た。そういえば、この同じ時期にアラーキーは教育テレビで放送があるのだった)思い出して、姿を写真の関係を勝手に思ったりもした。
そのフィルムは40分くらい続いた。
その間、ホントに一言もしゃべらずに撮影し続ける姿を見て、
そして、本人の撮りたいものに、ある意味では細かく、細かく、迫り続けているように見える姿を見て、「世の中のオタク」というような言葉まで浮かんできた。
でも、あれもいい。これもいい。という、執拗さが、黙っている姿から、伝わってきたような気もして、あんな風に興味を持続させる事が、たぶん、無理なんだろう、と思った。森山という人は確か70歳で、50年くらい写真を撮り続けていることを、忘れるくらい、撮っているすごさを後で思った。
コーヒーも飲んだ。半券で少し割り引きになった。
それから、もう一度、見た。
来てよかった。
(2008年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。