あっという間に聞かれなくなった言葉の一つにメセナがある。企業が利益だけでなく文化の支援をしなくてはならない、といったことのようだったが、いつの間にか目にしなくなった。
メセナと同じような印象の言葉にCIがあって、同時にトマト銀行を思い出す。地方の銀行がイメージチェンジのためにトマト銀行と名前を変え、会社のマークからシンボルから統一感のあるデザインにし、そのために急激に預金高を増やしたという成功話は、知りたくなくても、自然に憶えてしまうほど、あちこちで聞いた気がする。確かどこかでそのデザインなどを見て、あ、これならちょっとカッコイイなとも思った。でも、そのデザイン料を知ったら、また違うことを感じるのかもしれない。
昔、よく聞いた話で、味の素の「伝説」がある。今以上に味の素の売り上げを伸ばしたい。そのためにどうしたらいいか?社内で公募したところ簡単で画期的なアイデアが一つだけあった。味の素の入れ物のフタの穴を大きくする、そうすれば一回に使う量が多くなって自然と売り上げも伸びるという話だ。その頃、味の素は頭がよくなる。といわれていた時代だった。とにかく売り上げを伸ばすことが誰もが疑うことなく正義だったという時代でもあった。そのエピソードも輝かしさだけで出来ていた頃でもあった。その後、化学調味料そのものが、ある意味で目の敵にされるようになっている。
メセナもCIも、その味の素の話と、かなり印象が重なっていた。その頃は通ったとしても、その後には忘れられそうな話に感じた。
銀座のリクルートのビルで「CIが歌いはじめる。」という「コピー」が目立つ展覧会をやっていた。そのチラシの裏にこうしたことが書いてあった。
CIが血を流す。
新しいCIの時代を切り開くため、クライアント(公共団体、非営利団体)を公募することから始まった、CIルネッサンス運動。
100を超える応募の中から「佐賀地区広域市町村圏」「地球生物会議(ALIVE)」の2団体を選出、無償でCIデザインを提供。
新世代を代表するCIデザイナー2人によるプレゼンテーション展示を、来場者の投票により公開審査、発表します。
デザイン界に波紋を巻き起こす意欲的な試み、第一回新世代CI展「ユウ北川vs太田岳」。すべては、ここから始まる。
地球の人間と、地球の生物の問題と。時代が直面する2つのテーマに、果敢に挑んだ。
展示してあったものは、よくデザインされているとは思うが、申し訳ないのだけど、ほとんど覚えていない。ビジネスなのではないか、といった気持ちになっていた。ただ、それからCIという言葉を、ほとんど聞いた記憶がない。自分が知らないだけかもしれないが。
(1996年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。