アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

サラ・ジー。2008.2.8~5.11。メゾンエルメス フォーラム。

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サラ・ジー。2008.2.8~5.11。メゾンエルメス フォーラム。

2008年4月25日。

 あさってが母の1周忌。

 そこに来てくれる人達へのお菓子を三越で買おうと決めていた。

 たぶん、その世代のステータスとかあこがれとかのせいだと思うけど、母は三越が好きだったからだ。横浜にも以前はあったから、よけいに買う機会もあったと思うが、その横浜店はなくなり、それなら日本橋の本店にしようと思った。母が残してくれた「三越友の会」で積み立てたカードの残金がまだあったから、それを自分の名前にして、それで買おうと思ったけれど、それだけで出かけるのは、せっかく義母をショートステイに入ってもらっているのに、もったいないような気もしたし、途中で銀座も通るので、サラジーを見ようと思った。

 

 銀座線の銀座で降りて、B7の出口に曲がる。ちょっと照明が暗かったし、エスカレーターも狭めだった。一度、店内に入って、その奥のエレベーターを使わないとギャラリーにいけないので、勝手に圧を感じ、香水の匂いも強く感じ、エレベーターに乗って8階で降りる。

 

 そこはゴミが並んでいるようにも見えた。ただ、匂いはなく、湿り気もなく、その中の整理された気配を壊しているわけでもなかった。紙や枕や竹ひご(?)や箱やライトがごちゃごちゃとして、ところどころにオレンジ色のヒモがはられ、でもきちんと固定されているように動きがほとんどなかった。ところどころ小さなファンが回っていて、多少の動きがあるものの、これだけいろいろなものがあるのに、静かな感じが強かった。他の美術館のアンケートか何かに、雑誌かなにかで見てサラジーの作品が細かいのにキレイで、吹き抜けがあるような独特の空間で見ることが出来たら、といった文を書いたら、返事がきたことがあった。確かに注目していました。以前、見に行った時は素晴らしかったのですが、最近見たら、ずいぶんと変わってきてしまい、だから展覧会は考えてません、というような内容だった。それでも一度は見たいと思っていて、東京都現代美術館カルティエ財団の展覧会をやった時に、サラジーの作品もあったから、初めて実物を見た。地下2階から吹き抜けも使って、2階か3階まで伸びていた。日常品を使ったインスタレーション、という言い方をされていたが、ちょっと粗い感じがして、最初に写真でしか見ていないけど、そのへんのものを使って、そうとは思えない美しいものを作る、というような意志が薄くなっているようにさえ見えた。それしか見ていないのだから、そんな事が分かるはずもないのに、そう感じたのは、美術館側からの返事の影響が自分でも思った以上に大きかったせいかもしれない。それが頭にあったので、また銀座でやると知って、でも見ておきたい気持ちもあった。そして、今日来たのだった。

 

 箱が斜めにカットされて床にあるだけで、それが床にうめこまれているように見える。そういうものが何カ所かある。ヒモがはられ、そして、一番大きい立体は箱やタオルや枕などが積み上げられ、5メートルくらいはある天井まで届くようなものだった。最後は枕がはさまれているようだった。

 

 床の一部がはがされていたり、小さな紙が並べられていたり、ギャラリー全体で1つの作品なのだろうけど、もう1カ所と思える場所にも、もう少し小ぶりな立体があった。そこの方が微妙な組み立て方をしている感じがして、私は好感を持った。2メートルくらいの切りとられた木の枝が何本も立ててあったりして、その曲がり具合、配置の仕方が、すごくいい感じに見えた。小さい植物の道が出きていたり、よく見るとあちこちに、いいなー、と思える部分は結構あって、日常のものを使って、ゴチャゴチャのように、でもどこかキレイに作るのはやっぱり難しいよな、と改めて思った。一緒に来た妻は、来てよかった、と言って、かなり一生懸命見ていた。

 

 階段を登り、上から見た。

 紙の置き方などが、けっこうデザインされているのがよく分かったりもする。色や形が整えられている。鏡を使っているから、上へのびている「塔」が下へも突き抜けているように見え、それは計算された位置にあるんだな、と思わせる。

 

 なんだか感心する。

 それは、でも大脳が感心しているような気もする。

 ここのパンフレットも(今日、出来たばかりらしい)招待状のハガキも、十分にお金がかかっているのは分かるが、とてもかっこいい。

 

 かなりゆっくりと見てから、気になっている事をスタッフに聞いた。

「あの、いろいろ積んであるようなのは、そのまま積んであるんですか?」

「いえ、それは中に柱があるんです」。

 考えたら、当然の事だった。

 いろいろなものを雑然と積み上げて、そうやって静かに立っていられるわけもない。そのギャラリーは等間隔に柱が立っているから、ちょっと考えたら、そこにも柱があるのは丸分かりだった。

 そこに積んであるものは、すべて真ん中に穴があり、おそらく切り込みを入れて、柱に通すようにして積み上げられているのだった。確かに枕に、変な切り込みのあとがあって、なんだろう?とは思ったが、考えがそこまで届かなかった。

 

 そんな話を聞いた後でも、でも、見ると、ただ積み上げているものにも見えてしまう。それは、微妙なセッティングのせいだ。そして、一番端の柱を使っているから、そういう錯覚も生みやすいんだろう、と後付けで考えた。

 だけど、だまされた、という気分と、自分は頭悪いな、という気持ちがあって、でも、悪い気持ちではなかった。気持ちいい、といってもよかった。そして、見た目では相変わらず、積み上げているものには見えているのに、でもやっぱり何か違って見えた。

 

 来てよかった。

 前に見に来た西野逹の時も思ったが、こうした展覧会をやってくれるのならば、もし間違ってお金持ちになり、どうしてもブランドものを使わなくてはいけない、という事になったら、エルメスにしよう、とバカな事も考えたのだった。

 

 

 

(2008年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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「サラ・ジー」展 (メゾンエルメス フォーラム)

https://www.hermes.com/jp/ja/story/maison-ginza/forum/080208/