2001年5月27日。
予定よりも早く着いた。
いつの間にか眠っていて、気がついたら、美術館のすぐそばまで来ていた。
知らないうちに着くというのも、結構おもしろい。
バスをおりる。アートバスツアーで、二つ目の美術館。
この前は、コスースを見に、1年と少し前に来たことがある。
今回のミニマルアートの70年代以降の動きといったテーマ。それもドイツと同じような展示ということで、興味があった。リヒターと何だか、似ている印象があるのかもしれない。
会場には、ジャッドの作品。ただの箱だが、背面がブルーで、外がアルミっぽくて、今の日本のカフェっぽい。考えれば、ミニマルという言葉を、ファッション系の雑誌でやたらと見たような気もするし。プラダも、そんな感じがするし。
他にもガラスや鏡を使った作品。鏡を組み合わせて、立方体を作っていたものは江戸川乱歩の小説を思い出した。誰でもが言いそうなことだけど。
そして、玉子型の作品。その前には警備員がしっかりと立っている。持ち帰るのに、確かにこの中では一番簡単そうだけど。後、2人も警備員がいたのがビー玉を並べただけの、でも微妙に模様が出来ている作品。確かにこれは、上に乗られたら、アウトではあるけれど。
立方体や直線ばかりだったけれど、それほど冷たさを感じなかったのは、ただの立方体だけれどもその中から製作途中の音がする作品や、ミニマルアートに敬意を持ちつつも、そこから、さらに先へ進もうとする作品もあったせかもしれない。
妻は、柱の一部だけをピカピカに磨いてある作品。木材のようだけど、プラスチックの箱が積み重ねてある質感を、気にいっていた。
最後は、ゴンザレス・トレス。確か、もう亡くなっている作家で、自分の恋人と自分の体重分をキャンディーにして(銀の包装紙。その作品は97年の水戸芸術館、で見た。それから原美術館で二つの時計を並べて、パーフェクトラバーという作品は切なささえ、あった)ある作品もそうだったが、一枚のポスター、それも黒い枠線が入っただけの、後は白い紙。それを丸めている女性の姿を、その作品を知らずに見た時はかなり違和感があって、それがおもしろかったが、それを自分達も丸めて、そして持ち帰った。だから、集合した時は、みんなが丸めた紙を持っていた。
あとは東京駅に帰る。バスはゆっくりと予定より早い時間に出発し、その前にすぐそばの自動販売機にジュースを買いに行っただけなのに、私のことを、ずっと見ていた妻の顔を憶えている。それも手をふると、慌てさせちゃいけないと、横にふっていたという話を聞いて、何だか、妙に嬉しくなったりもした。
バスは、渋滞の中を進んだ。予定では1時間30分くらいのはずだった。
気がついたら、2人で寝ていた。
起きたら、首都高速だった。
それも、あと、わずかで着きそうな場所だった。
高速を降りた。
約1時間で、着いた。
1日が終った。
久しぶりに、終わるのが、残念に思える1日だった。
バスに乗ったり、美術館へ行っている時は、いつもの毎日を忘れることが出来た。久しぶりに、介護から意識から一瞬、抜けていた。
ああ、もう1日が終ってしまった。
今度、こういうのがあったら、行きたいね。
そう言っていた女の子がいたが、まったく同感だった。
(2001年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。