2008年8月5日。
前々から一緒に行こうと言っていた横須賀の友人と、やっと一緒に行けることになった。横浜で電話したら、浦賀の駅に着いたら、電話をくれればクルマで迎えに来てくれるという事にありがたいことになった。電車の窓からの風景は、上大岡を通過したあたりから急に緑が多くなり、山が多くなり、それでいて海が近づいてきた。乗り換える駅でうっかり降りそこねそうになり、あわてて降りたらセミの声が聞こえ、ホントに夏休みだー、という空気が濃かった。そして乗り換え、おそらく初めて降りる浦賀の駅で降り、コンビニで待っていたら迎えに来てくれた。久しぶりに会ったのに、変わっていなかった。
そこから横須賀美術館まで、しゃべっているせいもあったのか、すぐに着いたような気がした。
友人は年間パスポートを持っていて、そして、その連れであると、私たちの入場料まで割引になっていた。なんだか、すごいと思う。
ライオネル・ファイニンガー。
最初は、マンガを描いていた、という部屋。かなり器用でうまい。という印象だった。ドイツ系の移民としてニューヨークに生まれ、音楽を志し、ドイツに渡り、すぐに画家に志をかえ、新聞にマンガを描いた、という経歴らしかった。
それから、油絵を描いているが、それはその時の流行というか、傾向をうまく取り入れている、という絵が並んでいた。キュビズム風。表現主義風。それは器用でうまいけれど、なんだか影響されすぎて揺れ動いているように見えた。
それから、バウハウスに招かれ教師として活躍した、というプロフィールだが、版画印刷工房の担当だった、という。それから戦争があり、アメリカに戻り、でも、あまり仕事もなく、という状況の中で、でも年を重ね、80代の晩年になってからの絵は、個人的な感想だけど、ふっきれて、オリジナルな味というか美しさが出てきたように見えた。マンハッタンを描いた絵などは、よかった。
なんだか、その絵はすごく古さはなく、今の絵といっていい軽さがあったが、でも、その軽さというのは、オリジナルな、その人だけの持つ何かが出し切っていないせいで感じていたのかもしれないと思ったりもした。だから、そういうオリジナルな重さみたいなものを押し付けがましくなく持っているアーティストは、やっぱりスゴいんだ、と改めて思ったが、でも、この画家の揺れ方は、他人事ではなく、それはリアルで、でも、この人ほど器用な人はそう簡単にはいないから、そういう意味でも貴重なのかもしれない、とも思った。
だけど、けっこう長生きして(85歳)最晩年になって、勝手な事を言っているただの観客に過ぎないけど、その人間にも伝わってくるような作品を残すというのは、やっぱりすごいと思った。最後まで、いい意味で変わり続けようとした意志を持っていたという事でもあるから。でも、最後の方が、その人が出ていたようにも思う。
美術館のイスで友人と話をした。
それから谷内六郎館に行き、時々、ホントにいいなー、という作品があり、そのたびに、昔、それが分かっていなかった自分がやっぱり少し情けない感じになる。だけど、美術館のホームページの「ほのぼのとした」という言い方には、知らなかった癖に、違うだろう、とも思う。なんだか、どれも、少し悲しい感じがまじっていて、それがよけいにいいと思わせるものにしている気が、改めてした。
流れ星。大事なおもちゃを落とす男の子。そのそばで空の流れ星を見ている女の子。ああー、という感じがすごく良く出ていて、そして、その水の中に落ちていくおもちゃと、流れ星が同じような軌道を描いている。
それから、そこの美術館のレストランでお茶を飲む。そこから、また、友人の家族と会えそうになって、クルマで移動した。
楽しい1日になった。
(2008年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。