アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

岡林裕志 展。2017.9.19~9.30。EMON PHOTO GALLERY。

岡林裕志 展。2017.9.19~9.30。EMON PHOTO GALLERY。

 

2017年9月29日。

 ツイッターか何かで見つけた情報。すぐ思い出せたのは、その時の記憶が強かったからだと思う。もう13年前になったことに驚いたり、だけど、その時は、イラクで(もう場所も違うかもしれないけれど)人質になってしまって、そこから解放されて、それでも自分はボランティアを続けたい、といった話をして、それだけで、ものすごく責められていた。

  そのことで、知り合いが自己責任といった言葉も使って、わざわざ強く怒っていたこともあり、それは恐さみたいなものを感じたのは、これから先は何しろ従順さが強調され、従順でない人間は、それだけで、正しさとか、自然さとか、そういうものと関係なく、そのうちに、少数派というだけで排除されるのではないか、といった恐さにつながることの明確になった出来事だっただけに印象が強かった。

   それから今に向けて、そのことが弱まるような流れが出来たことはなく、自己責任という言葉は意味を変えるように強まるだけで、ということがあったということを、この企画、その事件の時に人質となって解放された最も若い人が、その時に来た非難の手紙などがあって、それも元にした展示にしているということを知って、反射的に見たいと思えた。

 

    広尾に着いて、うそみたいにおしゃれな美容院があったり、だけど、地図を見ると、少し奥まった場所だから、分かりにくくあきらめようかな、と思うくらいの分かりにくさだったけど、ここではないな、と最初に思った場所を進んだら、マンションの地下、住宅街っぽいところに見つかってホッとはした。

 

 写真がある。それは、手紙を顔にした人。これはやりすぎではないか、といった事も思えたのだけど、そこにその事件のあとに、わざわざ住所を調べて、ハガキや手紙を書いて、本当に罵倒みたいなことを書いて来ている人が、けっこういて、それを実行する人達がいて、自分だって、違う部分では、こういうことを絶対やらないとは言えないけど、だけど、どうしてあの事件の時に、こういう悪意が明らかになってしまったのかとも思った。

 

 あの頃は、非難は手紙で殺到した。その文章を読むと改めて、これを書いた人はすっきりしたのだろうか、それと共に、とにかく言うことを聞けよ、という怒りが世間にあふれていたようにも思えて来たあの頃を思い出し、今は、もっとすこしでも違う人間を許さなくなってきて、こわくなってきたことを、写真を使うことによって、広い感覚に訴えているのかも、と思った。

 これが写真の作品なのかとも思ったが、それでも文章だけで構成したら、また印象が違ってきているのだろうし、映像を使うことで一般化しているのかもしれないとも思ったが、本人の言葉。「人質」ということは一生言われるのだろう、といった言葉が、何とも言いようのない重さを持っていたし、こういった展覧会を友人である写真家に託せるのもすごいし、託される方もすごいと思った。こうして形にしてくれたから、新たにいろいろなことが分かったし、歴史化できていくようにも思える。

 

 中に異質な手紙があった。それは、自分の連絡先を書いた上で来た手紙で、それに対して返事を書いたら、そこにさらに返事が来て、そのやり取りの中で手紙の文章の調子や、丁寧さが明らかに変って行って、あれだけの罵倒でも変るんだ、というような気持ちにもなったが、よくこういうやり取りがあったと思ったし、これが可能になったのもその時の「非難」の手紙を、そのご両親が保管していた、ということからはじまっていたので、それも含めてすごいと思った。

 写真家ご本人が在廊していて、話をしてくれた。今も、この展覧会で提示しているものが、古くなっていないのは、ここからまっすぐに今につながっているせいで、それはやっぱり私は、恐いのだと思う。多数派に入っていないだけで、排除される未来が来るような気がして、それは多数派に入ることが強制されるというか、ちょっと違っただけで、攻撃される未来が来るかもしれない、という恐怖が形にはなっていたと思った。

 

 

(2017年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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