アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

かないくん展。2014.5.16~6.2。パルコミュージアム。

かないくん展。2014.5.16~6.2。パルコミュージアム

2014年5月29日。

 ほぼ日で、おそらく自分が支持していることもあるのだろうけど、絵本を出すという事で、文を谷川俊太郎。絵を松本大洋というだけで、絵本を買った。妻の反応がイマイチだったのでちょっと気にはなったけれど、今度は「かないくん」展で、渋谷でやると聞いていて、この前、30年ぶりくらいに会った友人が、松本大洋が天才という言い方をしていて、それだけでちょっと仲良くなったような気持ちにもなれて、そのせいか、この展覧会の事もメールで知らせたりしたのだけど、そのあとに「ほぼ日」で展覧会の宣伝もあって、その祖父江さんの動画を妻と一緒に見たら、妻も一緒に行こうと言ってくれた。

 

 渋谷に出た。東横線で降りて、だけど出口に出るまでがややこしくて、歩いていると不安だけが募っていくのは一緒で、少しずつ渋谷駅が、そんなに縁があるわけでもなかったが、だんだん嫌いになっていくような気持ちにもなる。

 

「かないくん展」。すごく混んでいたら嫌だなあと思っていたが、そんなに人がいなくてホッとする。絵本の製作の、本当に最初のアイデアの部分から公開していて、それを見て行く。

これだけ最初から見せているんだ、と思ったが、いろいろと変更点があるのも当然で、だんだん磨いていく感じはするものの、やっぱり始めからの芯は変わらない感じがするが、ただ、下絵になっていくと完成度が急激に上がって、その一本の線だけでうまいと思わせるのは、それこそ才能なんだろうな、と思う。それは、たとえばサッカーをやっていて、ボールコントロールを見て、ああこれは練習して身に付くようなものではない、と感じるような事なのだろうな、とも思う。

 

 死ぬことを考える。

 この半年くらい、よく思った。

 無に戻る怖さ。

 

 ただ、それだけでなく、今の状態。まだ生きて来て、何もしていないに等しい自分が、何もしてない自分のまま死んでしまう怖さ。だけど、死んでしまったら、もう何もないから、自分はいないから、そんな事は関係ない。だから、それは、死ぬ前の怖さなのだろうとは思うが、それにしても、やっぱり怖い。改めて、死んで無になることを考える。

 

 かないくん。おそらく谷川俊太郎の体験で、小学生の頃に亡くなった同級生がかないくん。その話。主人公が、歳をとって死を目前にして、そのかないくんの事を絵本に描く、という話。

 そういう時は、おそらく、死ぬことは、早くても遅くても、同じ時代という事で、そんなに変わらない、そんなことを思うんだろうな、というような事を感じたりしたのを、絵本を読んで思い出した。

 展覧会は、画像とか、ノートとか、撮影とかいろいろなサービスもあって、あきない工夫はしていたけど、たとえば、下絵からの変更などが、ハッとするような場面もあった。最後のほうで、かないくんと、そのおじいさんがおそらく死後の世界で出会う場面で、下絵は近くに二人がたっているのに、完成したものは、ページの端と端に立っていて、その方がすごくよくなっているように見えた。

 試行錯誤が、そこにあるようだった。

 

 妻が、お土産というか、買物のコーナーで何も買おうとしなかった。それは、このテーマの死について、もしくは、試行錯誤について、あまりにも影響を受け過ぎて、なんだか疲れたというか、暗くなってしまったようだった。

 夜になって、この展覧会とは直接関係ないものの、「ピンポン」展を渋谷でやっていたのを知った。行けばよかった、と思った。

 

 

 

(2014年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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