2019年8月14日。
「江戸のスポーツと東京オリンピック」
招待券をいただいたこともあって初めて行けた。両国駅から、近づくと、巨大で異様な建物、という印象は強くなり、「足」のような下部構造は、洪水などがあった場合に、それを避けるためなのか、と勝手な想像を巡らせるような感じがある。夏休みなので、人がけっこういるのに、にぎわっているという明るさがあまり感じられないのは、広くて、人が密集したり、集まりやすい構造がないからかもしれず、だけど、中に入ったお茶屋さんは明らかににぎわっていた。
1階特別展示室に降りていくと、その中に並ぶ江戸時代のいろいろな資料。まだ残っているのか、というのは改めて素直に驚ける部分があるし、印象といえば、やはり相撲のことだった。中でも、名前だけはうっすら知っているだけの雷電という横綱が身長197センチとも言われていて、その真偽ははっきりとはしないが、その羽織は、そうかもしれない、という大きさはあるものの、相撲は伝説と仲良しなので、そういうことを演出しているかも、というような気はするが、ただ、その時代ではとても巨大な人だったとは思えるし、こんな横綱がいたら、ずっと話題にはなるとは思う。
さらに、格闘技などは、まだ剣道みたいな形として続いているが、キャプションなどでも、江戸時代は平和な時代だから、戦争につながる直接的なことではなく、というような話はされているので、その時代の武道のありかたを考えた。武士のたしなみとして、剣術はできないと話にはならない。だけど、本当に強くて、明らかに質の違う強さを見せるような人間がいたとしたら、それは、もしかしたらひっそりと消されるか、もしかしたら闇の世界に生きるしかなくなるのではないかと思わせるのが、江戸幕府が支配した時代なのかも、と勝手に思えて、チラシを改めて見て、江戸時代に用いられていた剣術の防具(1834)を写真で見ると、のどをカバーする部分が現代の防具より、かなり大きいように思えるから、今より競技性は低いのではにないか、と勝手に思ったり、逆に江戸の末期とはいえ、武士の剣術の質は今よりもはるかに破壊力があるせいか、などと思わせてくれるので、現物が残っているのは、やっぱり強いのではないか、と思ったりもする。
それから、明治以降の近代化のあとのスポーツの取り入れ方や、スパイクの簡素さや小ささ、それと比べても、写真でみる日本選手たちのかなりの頑丈さは、やはり選ばれた人、という印象があった。そして、江戸時代に蹴鞠は、それなりに盛んで最初は貴族的な階級で行われていたのが、庶民でもプレーされるようになった、というのだけど、この伝統は途絶えているような気がした。足技のうまさ、というのは、どこかで切れてしまったのだろうか、と思うは、その後のサッカーの発展の遅れみたいなところを考えたりするからかもしれない。いつの時代も、肉体を使い、そして、その中でも優れた体の動きは人が惹きつけられる、みたいなことはわかったのかもしれない。
「いきものがたり」
常設展が、江戸の建物や街並みを再現しようとしているようなテーマパークだというのを、行って初めて知った。これは観光地として十分に成り立つのではないか、となると、館全体に、もう少し華やかさとか、すきのない展示みたいなものが必要かも、などとは思ったが、これも、いつの時代もペットとよばれる存在の大事さとか、必要性が伝わってきた気がして、さらには、川瀬巴水の絵を見て、「不穏なことはございません」と見えて、ある意味、わたせせいぞうを勝手に重ね合わせていた。
歌川広重の江戸百景が、かっこよかった。あんなにエッジが効いていて、はっきりとしたものだったら、それは欧州で注目されるのも当然かと思ったが、日本では捨てたものだったのに、ということは濁されていて、そういうことが、進化の邪魔をしているようにも、改めて思ったりもする。
(2019年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。