アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

オンラインイベント 「鈴木謙介×宇野常寛「全Q/全A 超・人生相談」 文化系トークラジオLife 。2022.11.27。

鈴木謙介×宇野常寛 「全Q/全A 超・人生相談」文化系トークラジオ ライフ。オンラインイベント

https://peatix.com/event/3404882?lang=ja

 

 2ヶ月に一度、深夜だけに放送しているラジオ番組があって、何かで知ってから、割と聞くようになった。

 TBS「文化系トークラジオ ライフ」という番組だった。

 特に、自分がとても困っていて、先のことが何にも見えない時に、食器を洗いながら、この番組をポッドキャストで聞いて、その時は、いろいろと考えることができて、気持ちが楽になったわけではないけれど、それ以上、落ち込むことを防いでくれて、そして、ここで紹介される本などを読んで、さらに考えを深めることもできた。

 

 だから、勝手に恩を感じたりもしていたし、このラジオを聞いて、送ってくるリスナーのメールの内容に関心もし、また、それを真剣に受けて、答え続ける出演者の姿勢にも敬意を感じていたこともあり、自分もメールを送り、幸いにも採用された時は、嬉しかった。

 

 だけど、ある回の放送で、リスナーからのメールへの、出演者の反応が、いつになく、否定的な言動だったことがあった。

 その意見の違いは仕方がないとしても、違うことに対して、それを前提としての対応ではなく、自分の期待していない言葉に対しての拒絶感のように聞こえ、だから、少なくとも、ここ何年か聞いてきて、初めて、出演者とリスナーの明らかな分断の気配を感じ、それから、自分の聞き方の熱量が明らかに少し下がった。それはとても勝手なことなのだけど、こうしたラジオも長く続けることで、変化もあるのかもしれないと思った。

 

 それから、何ヶ月かたった。

 この番組では予告編をポッドキャストなどで放送してから、本番を迎えるというシステムで、それを聞いて、テーマにそったメールを送るようになっている。今回は、概ね500字以内、といった制限がついたので、自分には難しいし、何かしらの「考え」を伝えようとすると、(放送で全部読まれないのは前提として)もう少しはかかってしまうのに、とは思った。

 

 ただ、その予告編を聞いていて、約一ヶ月前の11月に行ったイベントのことを知り、それが、全部の質問に全部答える、といった内容で、さらには登壇者の一人が、そのイベントで厳しいことを言ってしまったかも、といったことを語っていたことを知り、急に見たいと思った。

 すでに、実際の配信が行われてから、一ヶ月くらいが過ぎていて、アーカイブの期間もあと数日に迫った時にチケットを購入した。

 

 出演者の鈴木謙介氏と宇野常寛氏の二人が、お互いにリモートで、質問に対して答えていく、というシンプルで、どこかストロングなスタイルのイベントだった。これは、質問ももちろんだけど、出演者の力そのものだけで、この場が決まるから、考えたら、怖いことだとは思った。

 冒頭の質問は、「軽い」とは言わないけれど、どちらかというと一般的な答えでも届きやすいものだったのだけど、それから、「働くこと」に関する質問になった。

 

 働く場面で、大変なので、どうすればいいでしょうか?といった切実な内容で、実は、同じような質問がとても多いらしかった。
 
 それ自体が、今の時代の過酷さのようなものを表しているように思ったが、そうした質問に対して、二人の登壇者が、それぞれのスタイルで、とても真剣に応答しているのはわかった。

 その答えの中で、宇野常寛氏が、繰り返し語っていたのは、仕事の場面で傷ついたとき、それを内面的なことで解決しようとするのは間違っているのではないか。まず、そこから離れること。そして、実際におこなうかどうかは別として、外部へ訴える方法があるので、そのことを考えた方がいい。といったことだった。

 それは、視点を変えてくれる答えだと思った。

 

 そして、それはとても重要なことだし、同時に、こうして音声だけではなく、動画なので、話をしている人の表情もわかるし、その真剣さも伝わることが、その話をしている内容以上に、伝わる力と、人の気持ちへの届き方を強くしていると思った。

 約2時間の動画だったけれど、見て良かったと思ったし、アーカイブが一ヶ月足らずだったのだけど、もっと長い期間、いろいろな人に見てほしいと感じたし、もし、可能であれば、登壇者には大変さもあるのだと想像もできるけれど、また、こうした配信を行なってほしいと思った。

 そして、同時に、何ヶ月か前に感じた、このイベントの「本体」でもある「文化系トークラジオ Life」への、勝手な見方だけど、リスナーとの分断のようなものへの、時間を置いての回答のようにも思えた。


 改めて、人が、本当に真剣に考え、伝えようとする力の重要性を、それは、楽観的に過ぎないのかもしれないけれど、確認もできた。