2018年10月8日。
あざみ野から桜木町まで地下鉄一本で来られることを初めて知った。だから、市民ギャラリーの両方を見ようと思ったら、意外と見やすい、ということも初めて知る。
桜木町から歩くと、坂道を登り、小高い山の上に、妙に大きい神社などが会って、夕方以降に来ると、怪しい気配が立ちこめる、という言い方がはまる場所だけど、そこに古めの鉄筋コンクリートの建物があり、ギャラリーがある。
「本展は、社会や人々の意識のなかにある見えない境界に向き合い、既存のシステムを再考したり、固定されることのない関係や繋がりを見出し、製作を通じて自己と他者が共有する場を生成したりする作家を紹介します」というチラシの文章があって、これをよむと、“現代美術”という感じもするし、敷居の高さなどを感じたが、それでも、特に「個人の記憶や他者との関係性に関心を持ち、家族という関係を題材に社会的な問題を取り込んだ表現を探求する」川村麻純の視点が気になって、というのは、何年かずっと当事者性について考え続けているから、ということもあって、見に行きたくて、来た。
阪田清子。文字や、羽や、使い方は美しいものの、視点の揺れ、みたいなものはあまり感じられなく、岩井優の作品は映像で、この施設の半年分のシュレッダーの紙を使ったり、他にこの施設の中でのいろいろな作業というか、営みといっていい、たとえば調理とか、ものを作っている行程などが、映像として、重なりあっていくという不思議さというか、テクノロジーが進歩して可能になった感じもした。
それよりも、川村麻純の墓地をテーマとした作品が一番印象が強く、興味も持てた。映像と共に、淡々と、というよりもぼそぼそと語る話が、日本に来た異国の、それも宗教を異にする人たちが、どれだけ、埋葬するだけで様々な障害があるのか、といったことを、たぶん知っているような気持ちにはなっているものの、実は知らない、ということを教えてもらったように思えた。写真もそうした墓地の撮影で、映像を見てからだと、また見え方が違う。
ここもパンフレットがかなり充実していて、その上、今回の作品の写真撮影をした上で、また新しくパンフレットを送ってくれるというので、送料の90円くらいを払っただけで、送ってくれるというので、お願いをした。いろいろな意味で、楽しみなのは、たぶん忘れた頃に、送ってきて、また違う見方をするんだろうな、という気がしていて、この期待自体も忘れて、送ってきて、また思い出す、ということがあるのを想像する。
「新・今日の作家展2018 定点なき視点」