アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

映画「シン・ウルトラマン」。2022.5.30。109シネマズ川崎。

映画「シン・ウルトラマン」。2022.5.30。109シネマズ川崎。

 

2022年5月31日。

 もちろん「シン・ウルトラマン」が映画になるのは知っていた。成田亨のデザインに忠実にするということを知り、とても観たいと思っていたが、コロナ禍で上映が延期になり、そのことで気持ちが少し遠くなった。
 

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 おそらく、そんな思いをしている人は多かったと思う。

 

 ラジオで伊集院静が面白かったと語り、竹熊健太郎も同様な評価をしていて、その前に、賛否両論のような言葉を嫌でも目にして、だから、ためらっていたのだけど、その二人の言葉で行きたい気持ちが強くなった。

 

 だから、本当は少し遅くなったのだけど、封切りして、2週間以上経った頃、やっぱり観に行くことにした。少し調べて、やっぱりIMAXの方が良さそうだし、それに、どの席がいいのか、それも検索して、じゃあ、I席にして、だけど、トイレに行くかもしれないから、隅っこの場所にして、それでも平日だから、人が少ないようだけど、インターネットで予約をした。はじめてのことだった。

 

 それだけ、なんだか張り切っていたのだと思う。

 

 当日は、お風呂のトラブルのために故障のための電話をしたり、色々とあって、どうして、この日なんだろう、と思ったりもしたけれど、なんとか出かけられそうになり、だけど、今日は半袖のTシャツで大丈夫そうだけど、映画館の冷房が怖くて、長袖のシャツと、ウールのカーディガンまで持って行くことにする。

 

去年、「シン・エヴァンゲリオン」を観たのと同じ映画館だった。

 駅から歩いて、ショッピングモールの5階。

 

 映画館に行き、自動チケット販売機で、番号を入力し、薄いレシートのようなチケットが出てくる。まだ30分くらいある。売店で、パンフレットも購入し、さらには袋まで買った。それだけ気持ちがあがっていた。去年は、ロビーに一切、座る場所がなかったが、今は、一部ソファーが復帰していて、そこに座って、本を読みながら時間がたつ。

 

 10分くらい前の時刻になって、トイレに行って、すでに汗をかいてしまったので、これが冷えると映画館でカゼをひきそうな気がして、着替えるつもりでも、トイレに歩いて、少し前を若い男性が歩いていて、尾行するような感じになって、ドアを開けて、そして、個室に向かったら、前の男性も同じように個室に入って、ちょうど満員になった。一つは、故障中だった。

 

 あまり時間がなく、空きそうになく、だから、洗面所で、誰もいないうちに着替えようと思って、リュックの底の方になってしまった袋の中から着替えのTシャツを出して、着ているのを脱いで背中をふいて、人が入ってきたけど、その作業を続けて、着替えて、ちょっとホッとして、入り口に入る。

 

 映画館は、最初は10人くらい。時間が迫ってくると人が増えて、目測で40人近くいる。平日の午後12時台。真ん中付近の特別席のような場所に人が多い。10人くらいいる。真ん中のブロックに人が集中している。

 

 観たくて観にきている感じが強い。

 それだけでも、ちょっとうれしくなっている。

 

shin-ultraman.jp

 

 冒頭でウルトラQの音楽も流れ、そのオープニングらしき画像もあり、立て続けに、その時の「怪獣」が「紹介」されているが、それは、「ウルトラQ」も「ウルトラマン」も幼い頃にテレビで見ていたといっても、とっさには思い出せない。

 

 だけど、「怪獣」を「禍威獣」という文字に変えたりするのは、コロナ禍の今しかできないことだろうし、そういうことが微妙に心に届くような気がする。

 

 それから、最初の「禍威獣」が出現し、そこに昔だったら「科特隊(科学特捜隊)」という名前ではなく「禍特対(禍威獣特別対策室)」のメンバーが向かって自衛隊と共にテントの中で対応をしている。フィジカルな動きではなく、黙々とコンピューターに向かって作業をしている。

 

 昔は「隊」だけど、現代は「対策室」だから、明らかに規模が小さいことも分かる。その中の隊員の一人が、取り残された子どもを救いに外へ走る。

 

 その「禍威獣」は、透明で、ネロンガと名付けられ、そして、その対応が「面倒臭そう」といった不思議な感じだったのだけど、どちらもしても対応に苦戦していたところに、空から謎の物体が降ってくる。

 

 それがウルトラマンだった。

 ゆっくりと立ち上がるその姿は、美しく見えた。

 

 それも、不気味で、得体がしれなくて、マッチョ的なヒーローとは程遠いシルエットで、それでも大きくて、「禍威獣」の出す電撃も正面から無造作に受け止めて、そして、スペシウム光線を出したが、それは、見たかったスペシウム光線だと思ったし、そして、そこから、静かに空へ消える。その時の飛び立つ時の音は、たぶん、本当は聞きたい音だったと思った。

 

 

 幼い頃、「ウルトラマン」は、毎週、必ず見ていたが、それでも同じような年代で子ども同士で、ウルトラマンの背中にはチャックが見えた。空を飛ぶ時には、線でぶら下げられていた。そんな話もしながらも、たぶん、楽しみにしていたはずだった。

 

 それでも、街などのミニチュアの完成度に比べたら、ウルトラマンも、怪獣も着ぐるみだった。もちろん、毎週、手を変え品を変え、そして、毎回、怪獣を倒すだけではなく、その正体に気づいて逃したり、宇宙に帰したり、はっきりと言葉をしゃべらないのだけど、なんだか優しく見えていたのは、そのシルエットのせいもあった。

 

 その後、ウルトラセブンは結構力を入れて見たけれど、「帰ってきたウルトラマン」は、最初のウルトラマンではないから、「帰ってきた」というのはおかしいのではないかと思ったり、さらには、「ウルトラマンタロウ」で、その名前はあまりにも人間に寄せすぎているのではないかと思って、その頃は見ていなかったはずだった。

 

 

 そして、いわゆる「初代のウルトラマン」と、それからのウルトラマンのシリーズとの違いは、そのシルエットだった。初代のウルトラマンは、どちらかといえば細めで、強そうには見えなかった。それが、最初のウルトラマンの特徴だった。

 

 同時に、昔のテレビで見ていたスペシウム光線は、ちょっと散らばって見えていたこと。飛び立つ時の音が、ちょっと遅く感じていたこと。

 

「シン・ウルトラマン」の最初の戦いを見て、そんな微妙な不満があったことに気がつかされた。

 

 そして、その「シン・ウルトラマン」の姿は、初代のウルトラマンの細めで、強そうには見えなかったけれど、それがとても美しさにつながりそうだと思っていたのに、それが「シン・ウルトラマン」の姿を見て、はっきりと自分の中で、言葉になっていなかったこともわかった。

 

 これが、本当に「帰ってきたウルトラマン」だと思った。

 

 思い出は、そのままだと、時間が経った後だと、みすぼらしく感じることが多い。少なくとも、大きさでも、質でも「1・5倍」にしないと、鑑賞に耐えないものになるはずだ。

 

「シン・ウルトラマン」の姿は、その基準をちゃんとクリアしていた。だから、なんだか、うれしかった。

 

 

 初代のウルトラマンには、言葉がない「怪獣」ではなく、「宇宙人」も出てきて、それがドラマのパターンを豊かにしていて、それは「外星人」として、「シン・ウルトラマン」にも登場する。

 

 裏から見ると、セットのようにペラペラだけど、卑怯な外交手段を使うザラブ。表面的には丁寧だけど、さらにタチが悪いメフィラス。それは、昔のウルトラマンでも登場し、特にメフィラスは、言葉でなんとかしようとする宇宙人に見えたのが、今回は、その狡猾さが明らかに上だった。

 

 そして、最後に出てきたゼットンは、昔は、どうしてウルトラマンが負けたのか分からないくらいだったのが、この「シン・ウルトラマン」のゼットンは、巨大で強大で、とても敵わない姿で、だから、ウルトラマンが歯が立たないのは、納得もできた。

 

 

 ウルトラマンは、ドラマの中ではヒーローだけど、こうした「外星人」が登場すると、宇宙の中では、数ある「外星人」の中では、突出した存在ではないように描かれていて、だから、その戦いも、本当にギリギリで対等の戦いに見えるのは、やはり、その造形が、どこか、か弱く見えるほどのシルエットのせいだと思う。圧倒的に強いような感じがしない。

 

 だけど、それがウルトラマンの魅力だと、改めて思った。

 

 そして、そのシルエットのせいか、「野生の思考」を熟読する感じや、バディでもある「禍特対」の女性を救う時に、両手で柔らかく受け止めた感じがフィットしていて、その姿が、本当にヒーローとしてのウルトラマンだと思って、やっぱりうれしくなった。

 

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 最後のゼットンとの戦いの中で、「禍特対」がスタッフが、ウルトラマンがいれば、人類は必要ないのでは、と絶望しながらも、そこからなんとかしようとするところなどは、違う場面で初代でも描かれて、おそらくは重要なことでもあると思われるけれど、それも現代でもおかしくないような描かれ方をされていた。

 

 今回の「シン・ウルトラマン」は、女性隊員の描き方に、現代では疑問が持たれるような部分もあったが、「禍特対」の女性が巨大化することも含めて、この2時間弱の時間によく収めたと思うくらい、多くの「禍威獣」と「外星人」が出てきて、全体的には、本当に最初のウルトラマンのダイジェストという側面もあるくらい、その要素をきちんと入れていると思う。

 

 ただ、途中ですぐにウルトラマンの正体がバレるのが現代らしいし、何よりも、最後のウルトラマンの決断だけは、1960年代のウルトラマンと大きく違い、それが「シン・ウルトラマン」になっていると思った。

 

 見てよかった。

 

 最初のウルトラマンは毎週日曜日に「たけだー、たけだ、たけだー」と一社提供のコマーシャルから始まっていて、やはりウルトラマンを楽しみにしていたせいか、その「たけだー」という声だけで、微妙に気持ちがあがっていたようだけど、それは条件反射という狙った通りの反応をしてしまっていたのかもしれない。ただ、意外なのは、あんなにいつまでも放映していたように感じたウルトラマンは、今、記録を振り返ると、1年足らずという短い期間だったことだ。

 

 それでも、その時に感じてきたウルトラマンの微妙な美点のようなものが、あれから50年以上が経って、実はやっぱり魅力であったことが明確に描かれていて、それは、大げさにいえば、自分が幼い頃、テレビの前でウルトラマンを見ていた時間まで肯定されたような気持ちになった。

 

 だから、うれしかったのだと思う。

 

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