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1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

映画『シン・仮面ライダー』。2023.4.6。109シネマズ川崎。

映画『シン・仮面ライダー』。2023.4.6。109シネマズ川崎。

 かなり前から、気になっていた。

 

 『シン・ゴジラ』があって、『シン・ウルトラマン』があって、それは、昔の、その映画や映像を知っている人間にとっても、見てよかったと思える作品だったから、『シン・仮面ライダー』も、庵野秀明がつくる、と知って、全部、庵野氏が関わることへの、どこかあきれた気持ちと、一人だけに任せることへの重圧も想像したのだけど、それでも期待があったし、予告編を見て、これまでの2作とは違うアプローチを感じて、だから、戸惑いも含めた気持ちになって、だからこそ、余計に、見たい気持ちになっていた。

 

 テレビでも、特に平成以降は、「仮面ライダー」は、テレビシリーズも、そのストーリーは進化を遂げているようだし、そのルートとは別に、映画でも、何度か、「改造人間」の部分に焦点を当てた、一種のグロテスクな部分を含めての「仮面ライダー」も制作されているから、今度の「シン・仮面ライダー」は、どうするのだろう、と思っていた。

 

 ずっと少し気になり続け、公開されて、これまでの「シン」シリーズ(シリーズ化するのもどうかと思うけれど、庵野映画)の中では、それほど話題になっていなかったし、観客も少ない、といった噂も聞いていたし、あちこちの映画評で、賛否両論とはいえ、「否」の方が多く知るようになったので、やっぱり、迷ったけれど、見に行くことにした。

 

(※ここから先、映画の内容に触れます。

 映画未見の方は、ご注意ください)。

 

 

 

 

 

2023年4月6日。

https://www.shin-kamen-rider.jp/

 

 最初、いきなり、バイクで追われているシーンから始まる。

仮面ライダー」が追われているとしたら、相手はショッカーで、一緒に女性がいたとしたら、ヒロインのはずだった。

 

 ただ、今回の登場人物・緑川ルリ子に関しては、最初のテレビシリーズでも登場していたのに、序盤で姿を見なくなっていたし、ライダーと怪人の戦いに比重が置かれていたせいもあって、そのヒロインの存在を完全に忘れていた。(ただ、それだけ熱心な視聴者ではなかったのかもしれない)。

 

 そして、それは主演の池松壮亮だったので、これから変身するんだ、と思っていたら、いったん、バイクは破壊され、そして、ヒロインが捕えられたところで、仮面ライダーとして登場する。

 

 それは、初回の登場シーンのはずだが、それは、何度も見てきた場面でもあった。

 

 戦う時に、相手を殴る。

 それは、あまりにも強烈な力のため、ほぼ一発で、殺してしまうような力で、流血があるのはテレビシリーズではできない表現だったが、何よりパンチが重く見えた。それは、効果音や様々な映像処理のおかげだったのだろうけど、それでも、相手の体がバラバラになるような突き抜けた力ではなく、超人的なパワーという、とても絶妙な加減に感じた。

 

 そして、当初から、人を殺してしまうことに対して、当然のように持つ罪悪感や、さらに、仮面の下は「変身後」は、人間離れした姿になっていることは、映画シリーズでは、すでに、そんな表現があったとしても、新鮮に見えた。

 

 だけど、登場した、自分自身を「改造」した「博士」の説明は、あまりにも突飛だし、その言っていることの難解さも、ちょっと引いた気持ちにもなったが、そのあと、「怪人」(ここでは、オーグと表現されている)と、再び、ダムで戦うシーンでは、ずっと仮面ライダーの必殺技だった「ライダーキック」が出る。

 

「ライダーキック」

 

仮面ライダー」は、空高く跳び、そのあと、回転して力を増してから、相手を飛び蹴りする。

 

 それで、相手を破壊する、という過程が、テレビシリーズの時の記憶を思い起こさせた。初期の「仮面ライダー」は、アクションシーンが多く、そして、ライダージャンプから、ライダーキックまでも、実際に人が演じているし、そのジャンプの高さは、凄くても、そこから、ライダーキックとして、そこから、相手を破壊するほどのスピードや重さを、感じなかった。

 

 その撮影は、そんな高さから飛び蹴りをしたら、蹴った方も、蹴られた方も、演じている人間の安全性を考えたら、おそらく不可能だとしても、でも、視聴者としては、飛び蹴りの表現に、破壊力を十分に、感じられなかった。ただ、見ている方は、そのあとに「怪人」が爆発してしまうのだから、その破壊力を、想像の中で補っていたのだと思う。

 

 でも、「シン・仮面ライダー」の冒頭の「ライダーキック」は、あの時、何十年も前に、本当は、見たかったライダーキックだと思った。

 

 それは、CGも使われているはずだが、「ウルトラマン」のスペシウム光線のように、質の違う力ではなく、今回はオーグと言われて、使われていない表現だが、「改造人間」としての力に思えるくらいの、もしかしたら、安っぽく見える危険性もあるけれど、絶妙なバランスだと思った。(ただ、オーグも、オーグメントの略で、その意味は、拡張といったことを示しているから、質を変えるということでなく、改造にニュアンスが近いかもしれない)。

 

 だから、それからの展開で、セリフに対して疑問に思ったり、言葉が多すぎて、だるいのでは、というシーンもあったのだけど、最初に、「あの時に見たかったもの」を見せられたので、その見方が甘くなっていたのも確かだった。

 

「ショッカー」の目的

 確か、最初の「仮面ライダー」の「敵役」の「ショッカー」は、いってみれば、暴力による世界征服を目指していたはずだった。

 

 ただ、今回の「ショッカー」の創設者は、最大多数の最大幸福を目指すのではなく、絶望している人間が幸せになるような世界を目指す、という、どちらかといえば、「世界をよくしたい」という願望から始まった、という設定が、21世紀でもあるのだろうけれど、もしかしたら、初期のショッカーも、似たような始まりだったのかもしれないと思わせた。

 

 そうした説明は情報量が多く、映画を見ているときに、正直、自分自身の理解が追いついていないと思うのだけど、その過程で登場するのが、過去のヒーローもののキャラクターたちをモデルにしているのは明らかだった。

 

 キカイダーや、ロボット刑事K、さらには、今回の最大の敵であるオーグも、サナギから蝶になるという設定も含めてイナズマンだけど、どれも見てきた記憶があるし、「仮面ライダー」も含めて、全て石ノ森章太郎が生んだヒーローだった。

 

 この「ショッカー」の目的の難解さが、終盤の戦いの、テンポの悪さのようなものにも結びついてしまったと思えるのだけど、元々の石ノ森の作品にも、単純な勧善懲悪だけではない微妙な暗さがあったのは間違いない。

 

 なにしろ、「仮面ライダー」自体が、「ショッカー」で改造されて、そこから逃げ出して、「ショッカー」という脅威から戦うヒーローという設定なのだから、朗らかな存在ではなかったはずだし、(この構造は、「タイガーマスク」と似ているが)過去の作品を、現在の作品として、今の人たちに見てもらえるものにするには、こうした、悪役の目的を、改めて考える作業が不可欠なことを、示してくれたように思った。

 

 「シン・仮面ライダー」は、「よかれと思って」の持つ暴力性が、最大に拡大された存在としての「ショッカー」を表現しようとしていたように思え、それが、21世紀の「悪役」としてふさわしいとは思ったものの、その暴力性への共通理解が、まだ社会に浸透していないこともあって、その表現がより難しく、そのことで、映画の終盤が、明快さから遠ざかった理由かもしれない。

 

優しさと力

 「シン・仮面ライダー」で、その冒頭から繰り返し出ていた言葉が「優しさ」だった。

 

 「仮面ライダー」として、バッタオーグにされる本郷猛という存在は、優秀だけれど、コミュ障なので、社会的には孤立して生きている、という設定だが、このオーグにされてしまう理由が、本郷の優しさだった。

 

 これまでのオーグたちは、自分たちの圧倒的な力をエゴのために使っている。だが、本郷には優しさがあるから、その力を人のために使ってくれるはずだ。だから、選んだ。

 

 考えたら、それ自体もとても勝手で、迷惑な発想だけど、そんなことを、オーグにした緑川弘博士に言われていた。

 

 本郷猛にも、人を守れる力が欲しい、という願望を持つ過去はあって、だから、なんとなく、本人も周囲も受け入れたように見えたけれど、行動を共にしていた緑川ルリ子は、その優しさについては、戦うためには弱点にもなるかも、という見立てをしていた。

 

 その言葉通り、人を簡単に殺せるような力を得た本郷猛は、そのことについて、当然ながら、葛藤する。「仮面」には、優しい心を麻痺させ、攻撃性を増幅させる機能もついているにも関わらず、そこに抵抗するように、相手がオーグであっても、殺さない選択をしたりする。

 

 そうした本郷猛の行動のせいか、行動を共にする、実はオーグでもあった緑川ルリ子の心にも影響を与えて、感情や表情が豊かになっている表現も出てくる。次から次へオーグが登場することで、時間を使い、そうした気持ちの描き方について、物足りなさもあるものの、力があるものほど優しさが必要ではないか、という基本的で、どこか青臭いようなことも、描こうとしているのは伝わってきた。

 

 本郷猛が、緑川ルリ子との関係を、信頼と言い切っていたのも、印象に残っている。最期まで、本郷猛は、人のため、具体的な誰かの願いのために戦い続けていた。

 

「優しさと力」といった要素は、ヒーローを描くのであれば、未来になるほど必要ではないか。もちろん、その描き方については、不十分さを感じるが、冒頭の「ライダーキック」までを見せてもらい、いったん満足してしまった評価の甘くなっていた映画鑑賞者としては、それを示してくれただけで、うれしい気持ちになっていた。

 

 もしかしたら、それも、とても感傷的すぎ、こじつけかもしれないけれど、昔見たかった「仮面ライダー」だったせいかもしれない。

 

 

 

 

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