2016年12月11日。
本当は、妻と一緒に1週間前に行くはずだったが、自分の体調が悪く、その日は休んで、だけど、「目」の作品を見たくて、それで、一人で行くのが申し訳なかったのだけど、妻に相談して行けることになった。ありがたい。
現地に着いた。旧民俗文化センター。コンクリートの建物。外から写真を撮った。中庭の部分に枕が並んでいて、それは、マティ・アンドラシュ・ヴォグリンチッチの作品だった。壁には、ウィスット・ポンニミットの絵が並んでいる。中に行くかどうか迷っていたら、外の受付らしきところに人が並んでいたので、なんだかここに行くべきところなのかと並んだら、そこが「目」の作品の受け付けで、「見ます見ます」と言ったら、説明があって、靴を脱いでいれる透明の袋をもらって、他の参加者と一緒に歩いて、草木のトンネルの中をかがみながら、歩く。
目の前が開けた。
池があった。外からは何があるか分からなかったのだけど、そして、池かと思ったら、それは何かしらの透明の固形物で、上に乗ることが出来るものだった。水にしか見えなかった。ああ、という何ということもいえないような、ちょっとにやりとするような気持ち。この作品のことが、秘密を守られたことが、すごいと思った。それはこういうアートの世界が狭いから、そのせいで守られた、ということもあるかもしれないけど、でも、見た人たちが、自分が知る範囲では、ツイッターなどでも内容について語っていないことも含めて作品のように思えた。
クツを脱いで、そこを歩く。「池」の上を歩く。冷たくて、固い。草が顔を出している。歩いて、あちこちを見て、木が生えていて、空を見て、もう夕方で、静かで、豊島美術館を思い出して、少し親切な内藤礼という印象だけど、スタッフに聞いたら、草も含めて作品らしく、さらにはここに池があったわけではなく、荒れ地で、そこに樹脂を流し込んだらしく、だけど、予想もつかない作品で、見てよかった。
あっち側に抜けて、また草地を歩いて、出た。狭い場所なのに、どこか別のところに行っていたような感覚。建物の中にも作品があって、本当に映画館のような中で見る小沢剛の作品。スーパースローで撮られた駅の観客の様子が、すごく面白く、見えた。大洲大作の作品。それも、みんなとても暗い顔をしていて、それでも、ずっと見ていて、あきなかった。
そのあと、相撲に関わる作品があって、そのアーティストトークに迷いこむように入って、すぐに出ようと思ったが、そこに一人、立っている姿が明らかに重心が下にあって、みたいな人がいたら、その人は若い頃はプロの力士で、その人の話す、横綱の強さみたいなものは、力ではなく皮膚感覚というか、けいこも、直感を鍛えるもの、みたいな話をしていて、質問もしたかったし、もっと聞いていたかったけど、夕方になり、日が暮れた中で、「目」の作品を見たくて、おそらくは終了の30分前が締め切りだと思ったので、失礼だけど、席をはずして、もう一度行った。暗い中で、その「池」に月が映っていた。夜のバージョンなので、半分くらい行って、戻って来るようにしてください、ということになって、あちこち歩いて、冷たくて、さっきよりも上を見て、空を見て、月を見て、不思議な気持ちにはなった。
そのあと、バスに乗って、帰った。別の会場の作品は見られなかったが、それでも、満足感があった。