アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

横浜トリエンナーレ2008(2回目) TIME CREVASSE 。2008.9.13~11.30。三溪園・日本郵船海岸通倉庫。2回目。

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横浜トリエンナーレ2008(2回目) TIME CREVASSE 。2008.9.13~11.30。三溪園日本郵船海岸通倉庫。2回目。

2008年11月22日。

 

 昨日は調子が悪く、鼻水が出て、妻に心配され、クスリを飲んで、そうしたら朝起きたら、けっこう調子が悪くなく、だから予定通り出かけることにした。電車に乗って根岸駅に降りて、そこからバスに乗り、コンビニへ寄ってトイレを借り、そこから10分弱で三渓園に着いた。名前だけ知っていて、でも来たのは初めてだった。前もって園内の地図を調べていて、それだと正門を入ってから、すごく遠いところに展示があるなあ、と不安に思っていたら、地図で見るよりも、見るというよりも想像するよりも、かなり小さくコンパクトで、奥まであまりなさそうだった。

 

 池の中の島のところに、無駄についているライト(?)みたいな作品があって、中のお茶屋さんみたいなところの机の上に家の屋根がない小さな立体みたいなものがあって、何かの声が屋根のあちらから、と思ったら、次はうしろから、と不規則に、わりとささやくように聞こえてきて、これは意味が分からないと、と思ったら、紙があって、そこに意味は書いてあるのだろうけど、最初の1行で読むのをやめてしまった。

 

 途中の茶屋で食事。

 そこで三渓そばを食べた。そばとは全然違います。汁気はないです。めんをスパゲッティみたいにいためたものです。という説明をされ、それにした。そして、その説明を、その前売り券売り場から近いから何度も聞き、そして、そういうものがハイカラでとてもおしゃれな時代が確実にあったんだな、と思ったが、汁気がない、という事で、普段は特に年配の客が多そうなところでは、それだけで敬遠されるようだった。

 

 食事をしてから残りのものを見た。ティノ・セーガルのパフォーマンス。古い立派な住居の畳の上で若い男女がからみあうパフォーマンスを延々としていた。人を変えて、ずっとやっているのかと思った。そして、2階まで見て回ったら、建物が、男尊女卑の感じがする、と妻が言っていて、確かにそういう暗さは感じた。

 

 そして、中谷芙二子の人工的に霧を発生させる作品は、吹き出すところから見て、おお、来た来た、と言っていたら、隣のフランス人らしき男性と来ていた中年女性に笑われた。でも、思ったより、たっぷりと出て、そして、谷といってもすごくコンパクトなんだ、と思った。木漏れ日が直線的に見えて、光の線に見え、きれいな強さだった。

 

 それから、12時から1時までは、昼休みだった内藤礼の作品を見た。天井からつるされたテグスか何かのヒモが、その下にある、大きさの違う2つの電熱器で暖められた空気で一定でない、複雑で微妙な動きをしていた。ちょっと笑っちゃうくらいの繊細さ、というか、ホント暴力的なほどのささやかさという感じまでした。そして、もう一つ、古いお堂の中でやるなにかは、1回20人で、1時間に1回しかやらないから、もう整理券がなかった。ちょっと残念だった。

 

 それから行きとは池の反対側を通って、また出口に向かう。なんだかジオラマのようだった。京都とかの庭をなぞっているようで、そういう意味では模型を巨大化させたようだった。道楽としてはウソみたいに大がかりだけど、やっぱり無理があったようにも感じる。妻は、でも植物もいっぱいあったし、とかなり満足でよかった。

 

 バス停まで歩いたら、もう人が並んでいた。バスが来るのかどうか不安になると口数まで減ってしまう。来たバスに、これでもかと人が積み込まれ、立ったまま、約30分で桜木町に着く。義母の迎えに行かなくてはいけないから、妻とはここで解散し、私は先週、見損なっていたもう一つのメイン会場といわれている日本郵船海岸通倉庫へ行った。

 

 今日は、音声ガイドを借りるぞ、と秘かに意気込んでいたら、1階にはない。勅使河原三郎のパフォーマンスのビデオか何かの展示には人が並んでいて、その隣のヘルマン・ニッチェの作品は、すぐに入れます、と言われ、人気があるラーメン屋のとなりの人気がないラーメン屋みたいな気もした。入ると、血しぶきだった。丸裸の男女がおそらく家畜を解体したあとの血をあびているような映像と写真が並んでいた。でも、生真面目な印象がした。

 

 2階へ上がると音声ガイドがあった。500円で借りると、小さいポスターをもらった。

 

 マリア・アブラモヴィッチは、たぶん名前がサッカー関係者にいるから、覚えているだけなのかもしれない。魂の(名前を忘れてしまった)みたいな高いところにあるベッドみたいな立体作品があり、これは解説はなく、入ったところには、ツィ・クァンユーのビデオ作品があり、川の石に木の板をシーソーみたいに2人の男の子が乗せて、2人でそのバランスをとる、というだけの作品で、でも、友情判定機みたいな名前がついていて、おもしろいと思ったら、この人は服か何かに水をたくさん入れて、たくさん穴をあけて、水が吹き出している姿で歩いている作品みたいなものもあって、笑いを忘れない人なんだ、と思った。音声ガイドは初めてだったけど、なかなかよかった。

 

 ポール・マッカーシーはホントにそんなに過激だろうか?と思ったり、オノヨーコは昔のカットピース(舞台の上で服を切られる作品)のビデオを流していて、その向かいの床には、マスキングテープを巻き付けて、それをはがすというジミー・ロベールという人の作品が向かいあうように、わりとひっそりとあって、ガイドがなければ気がつかなかったかもしれない、と思った。

 

 ロドニー・グラハムは、古く見えるビデオの中でハプニングをおちょっくているような、この1960年代の作品などをおちょくっているような、そういう意味では「アキレスと亀」みたいだけど、そういう作品とオノ・ヨーコの、ちょうどその時代の作品を流すというのは、狙いなのか、などとも思った。

 

 馬のくらが置いてあるだけの部屋。壁に書類。ガイドがなければ、なんだか分からなかった。でも、その時は納得しても、本当に深く面白いと思っていなかったみたいで、帰って来た今ではあまり覚えていなかったりもするけど、でも音声ガイドがあってよかった、と思った。クロード・ワンプラーの作品。台座だけあって、うしろにシルエットで大きい像があって、前にドローイングがあって、それによると、大きい女性像がそこにある、という事を想像して欲しい、というような作品らしい。

 

 最後に見たのはマシュー・バーニーだった。40分くらいのビデオ作品。おおがかりで思わせぶりで、でも、なんだかキレイだと思える要素もけっこうあって、このリズムは能楽みたいだと思っているうちに、何人も何人もその部屋から去って行き、そして、途中でハダカの女性が2人揃って急に立ち小便をホントにほぼ完璧にいっしょのタイミングでしだすと、やっぱり、ちょっと驚いた。それから牛がステージに出てきたり、何やるんだろう?と思っていたら、最後はやっぱりハダカで、ずっとステージにいた女性が、急に黒い大便を垂れ流した。他にいろいろな要素があって、目を奪われていて、そして、小便のあとは、大便、と思ってもよかったのに、とちょっと意表をつかれたけど、ホントに変態っぽいけど、帰って来て、一番印象に残っているのは、30分は見ていた、この作品だった。ビデオ作品というのはある程度以上の長さが必要なのだろうか、と思った。

 

 もし音声ガイド付きで、もっと時間をかけたら、やっぱりもっと面白かったのだろうか、と思う。それでも、作家の意向で、作品の意図は教えられません、みたいな文字も何カ所も見た気がした。全体ではスカスカな印象が残ってしまった。もう、これで横浜トリエンナーレは終わりなのだろうか、そうだったら、悲しい。横浜という名前がついているだけに、一応、出身者としても、ちょっと悲しいし、友達が集まれる機会でもあったので、やっぱり残念だけど、でもトリエンナーレという名前なのに、まだ1度も3年に1回のペースで開いていなければ、仕方がないか、などとも思う。

 

 

(2008年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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