アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

映画「私の少女」。2015.6.11。渋谷ユーロスペース。

映画「私の少女」。2015.6.11。渋谷ユーロスペース

2015年6月11日。

 会田誠ツイッターで、この映画を知る。予告編を見た。なんだかたたずまいが静かできれいで、繊細で、でも何かしら不穏さもあって、見たいと思っていて、やっと見る機会を作れた。
 

 渋谷で降りて、そこから大黒屋へ行ってチケットを少し安く買う。回数券で、このあたりの小さな映画館共通のものらしい。1400円。なんでもあるんだ、と思ったりもする。

 まだ30分くらいある。不思議なミニスカートの妙にきらきらした女性。酸いも甘いも知っている感じの中年の女性。初老のおしゃれな男性。みんな一人で来ている。

 

 画面がきれいだった。

 虐待のサバイバーの感じが、私は直接知らないものの、こういうことなのか、と思うくらいに、ものすごく魅力的だった。毎日、殴られて育てられ、そして、人を味方につけるやりかたは、間違っているけれど、生き残るために身に付いたものなのだろうと思い、こういう事が、施設のことを書いた本の中で、誘うのに天才的な少女がいて、と職員が性的な虐待を正当化するような書き方をし、それに対しての批判があって、というのをブログ等で読んだ気もするが、まさにそんな感じなのだろう。

 

 主演のペ・ドゥナがきれいで、魅力的だけど、ずっと何か重いものを抱えていて、それは過去の秘密、という言い方をされていたが、過去の秘密ではなく、もしかしたら同性愛者というだけでエリート警察官なのに左遷されたのかもしれず、そうした事を秘密にしなくてはいけない重苦しさと、その差別を正当化する周囲の鈍感さとか、残酷さとか、過疎といわれるような田舎の、だから見過ごされているとんでもない虐待の理不尽さとか、正しくてもひたすら浮いて、こっそり差別されていく感じとか、その中で、子役の魅力が出ていて、なんだかすごくて、だけど、それは殴られ続ける毎日で身につけた力のはずで、だから、いろいろな人のコメントがピンとこないで、見ていないんではないか、と思える人が多い中で、辛酸なめ子のコメントがすごいと思った。

 

 ただ、主役の孤独も、差別という中にいるせいだろうし、そして、最後も、この子役に対して、まっすぐ育ったであろう青年の警察官が、怪物に思えます、というセリフを聞いた瞬間に、おそらく、いろいろと分かりながらも、覚悟を決めて、一緒に行動することにする主人公は、やっぱりすごく孤独なのだろう。ただ、虐待の親父は酒を飲んで虐待していたけど、主人公もものすごく酒を飲まないと寝られないと、あれだけ飲んでいて、そして、この少女と長く暮らすようになり、耐えられるのだろうか、というような不安も含めてラストにあって、だから、最初に予告編などにあった希望は、とても分かりにくく感じたが、それでも、主演の二人の表情は時々思い出すのではないかと思えるほど、印象が強く、しかも深い力があった。

 救われる、という言葉が著名人のコメントにあったけど、救われてはいない、と思う。そんな安直さを拒否しているようにも思えた。

 

 

 

 

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