アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

映画『桐島、部活やめるってよ』。2012.12.27。飯田橋ギンレイホール。

桐島、部活やめるってよ』(予告編)

https://www.youtube.com/watch?v=KjjG0WTQ6C4

 

2012年12月27日。

 自分としては、かなり早く起きての出発になった。初めて行く映画館。名画座、というなつかしい響き。始まる30分くらい前、昼前に着いたら、もう人が並んでいた。かなり年齢層が高い。渋谷の能楽堂までは行かないけれど、定年後の年齢層が多いように思い、以前、大林宣彦の映画を東中野で見たときと同じような印象が重なった。

 

 200席くらいの名画座で、年末とはいえ、昼間の回でこれだけの人が来るのは、おそらくは口コミというものだろうと思った。映画館に着いて、入ってから列への誘導も、信念はあるけど押しつけがましくなく、古くからの名画座にあるような、ガード下にあったようなタバコでこげたようなシートが並ぶような場所ではなく、もっときれいにしていて、そして、前の上映が完全に終るまで入場をさせなかったりと、映画に集中できるようなシステムにもなっている。

 

 映画はさらっと始まって、最初のころのシーンで、ひろきというなんでも出来る生徒がいて、そのうしろに座るその彼を好きな吹奏楽部の女子がいて、ひろきが見る外の窓の光景を少し遅れて一緒にみる、という場面で、ああ、もうすごいや、と思ってしまったのは、こういう光景はおそらく高校生の時にしか見ていないから。退屈な時間の中で、一応、外へは出て行けない中で、視線だけ自由になる感じというか。そして、好きな人と同じものを見ている感じというか。
 

 女子4人グループのそんなに仲がよくない冷たい感じとか、学生としていのリアルではなく、人としてのリアルで、自分にはおそらく一生縁がない、イケてるグループというのは、いわゆる上流階級だったり、「勝ち組」などといわれるようなものだったり、一流といわれるところだったり、この前聞いた、叙々苑の焼き肉は上ではないとうまくない、という世界との無縁な感じだったり、自分はずっと下流社会で生きていくんだな、という感じだったり、不思議と自分の高校時代を思い出さないのは、今も必死ということかもしれないし、現在も中年で、再び、学生生活を送っているせいかもしれない。

 

 後悔とか、悔いとか、そんなことばかりの高校生活だったから、それ以降はちゃんとしようと思って、生きていこうとは思ってはいる。ただ、映画の中で、人間関係の微妙で複雑な感じがとてもよく出ていてすごいと思ったし、最終的には、好きでやっている人間が、影響を与えていく、ということで、いい終りかただったし、出来るやつは何でも出来るけど、出来ないヤツは何やってもできない、というホントに何でももっている男子がいる一方で、プロ野球のドラフトを意識しているという、極端に夢を見ているような、高校生の野球部キャプテンがいたりする。でも、映画監督になるのは無理と思っても、でも、映画を撮りたいから撮るという人間が夕焼けの中で、そのなんでも出来るやつよりも、圧倒的な存在になる瞬間がある。

 

 この高校が、世界全部になっているようなところもあって、でも、ただの階級ではないとは思う。人間の基本的な構造というか、その中でも生きていかなくてはいけない、ということだし。後味もよかった。見てよかった。

 

 自分が何も出来ないところから出発しているということを、また思い出した。何でも出来るヤツは、何でも出来るのは本当だけど、いつまでもそうではない。そして、出来ないやつが、いつまでも出来ないわけでもない。ただそのままのこともある。何も成果が出ないことだってある。一生をかけてもダメなこともある。だから、よけいにやりたいことをやった方がいい、と思っていて、今も思っている。

 

 

 

 

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