アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

鈴木謙介×東浩紀 ―― いま人文知は必要か。2015.9.19。ゲンロンカフェ。

鈴木謙介×東浩紀 ―― いま人文知は必要か』。ゲンロンカフェ。

https://genron-cafe.jp/event/20150919/

 

 

2015年9月19日。

 ここ2年くらい前から聞くようになった文化系トークラジオ「ライフ」というラジオ番組。最初はぴんと来なかったが、あ、本当に頭のいい人はいるんだ、というような驚きはまだ続いている。もう少し昔の人は、首から上だけが高性能、というように見えていたのだが、東浩紀の場合は、体で頭がいい、というタイプで、なんで、こういう人がいるんだろう、と思ったが、そんな気持ちを持つようになった頃、ゲンロンカフェが出来た。その年は学校を卒業したものの、ずっと仕事が見つからなくて、今から振り返れば、本当に辛い時期でもあったけど、その頃に、人が話しているのを直接みたい、と思って、何度かゲンロンカフェに行った。その時に、いろいろな人がしゃべる姿を実際に見る、というのは、やっぱりそれでしか経験できないことがあるのは分った。
 
 それから、2年が経った。
 
 東と、鈴木謙介が話すというので申し込んだら、100名を軽く超える人達でいっぱいになった。仕事が明日にあるから、その分、憂うつさはあったけど、楽しみもあった。話の最初は、鈴木がこのあとにスケジュールを入れていることの話で、申し訳ないけど、そんな事はここで話さなくてもいいのに、と思っていたが、本題に入ったら、前のめりに話す東と、とにかく距離をとることで知性を発揮させる鈴木、という組み合わせはすごくはまっていたように思う。
 

 デモのこと。

 東は、革命は恐い。そこで人が死ぬんだから。インテリはいらなくて、殺されたりするんだから。それを知った上で、行動しないとダメというのはおかしい、というようなことを言うのが役割なのに、といった話をした。

 

 たぶん、こう書くと、本当は、なんだか違うといわれそうだけど、でも、そういった話をすごいスピードで話し続ける二人は気持ちよかった。

 

 そして、持続とか、いろいろな話にもなった。

 いろいろな事に突っ込みを入れるくらいしか役割がないんだ。何の役にも立たない。だけど、2000年くらい居続けた、ということくらいしか言うことはない。だから、大学の人文系がなくなるといったって、人文知がなくなるわけではない。元々、大学にはなかったものといったっていいんだから。

 

 東が話したことと、鈴木がしゃべったことの区別が、未熟な聴衆なので、それがはっきりとついていなのだけど、さらに、いろいろなことも話題になっていた。

 

 シールズの話で、そのリーダー格の男性だって、これまでのたとえばロスジェネの雨宮処凛とか、赤城智弘も、自分自身が生きづらそうで、だから、運動につながる、というのは分るんだけど、今回のシールズはしゅっとしていて、出身高校の偏差値をいじられても、自分で話題に出来る。どうして、そういう人が運動するんだろう、というような疑問はある。そして、やっぱり勉強して、継続しないと。話をするなら、これから先、仲間に裏切られたり、週刊誌などにあることないこと書かれて、いろいろあったあとに話をしたい。ただ、普通の人というか、見たくないような人達じゃない、というのが、この短期間に人気があがった原因かもしれない。

 

 インテリは、ブックリストを作るくらいしか役割がないかも。

 

 その後、鈴木謙介から、津田大介に変わって、第Ⅱ部になったけど、明日も仕事だから、早めに帰って来た。どうやら、午前1時までやっていたらしい。そういうことに付き合えるような自由は欲しい、と思った。

 ただ、有意義だった。

 もっと勉強しないと、とは思った。

 

 

 

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