アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

高橋源一郎×東浩紀 『論壇』はどこにあるのか。2015.7.10。ゲンロンカフェ

高橋源一郎×東浩紀 『論壇』はどこにあるのか。ゲンロンカフェ

https://genron-cafe.jp/event/20150710/

 

2015年7月10日。

 介護だけをしていて、人にも会わず、ただその日のその時だけを考えて、母親のことを考えて、病院に通い、最低限の人と会うだけで、家に帰ったら、義母の介護に関わり、起きて、病院に行って、という生活が8年続いた。何も出来る気はしなかったし、介護が終ったら、ダメなら死のうと思っていて、それで続けられた暮らしで、今から振り返っても恐い生活だと思うし、今より、ものすごく暗かったが、明らかに何か研ぎすまされていたようにも思う。その時、片道で1時間半くらいかけて病院に通っていて、その時に、家ではコンピューターを買って、操作の練習をしていて、やっと最低限使えるようになったことと、その電車の時間に、けっこう必死に本を読んでいたのは、人とは会いたくなかったけど、何もしなかったら、社会的に廃人になってしまうのではないかと恐くて、それで読んでいて、今までよりも本を読む習慣がついてきたような気がしていたが、その時に何を読むかの参考にさせてもらったのが高橋源一郎の文章で、それがなかったら、読む本の幅が広がらなかったし、それほど読まなかったと思うので、勝手に感謝をしている。その高橋が、ゲンロンカフェに来るというので、この前は行けなかったし、今回は行くことにする。

 

 100人くらいが来そうだから、早めに行った。まだかなり空いている。後50分くらいある。本を読んで、待っていた。高橋源一郎の本を読んで、待っている。

 

 ほぼ時間通りに始まる。

 いろいろと話をしているが、対談という感じで、憲法の話にもなる。9条という存在。それが論理的におかしくて、それがおかしさを作っているのではないか、という話。今のままなら自衛隊を廃止する。自衛隊を持つのならば、憲法を改正する。そのどちらかでないと、論理的におかしい。ということで、確かに、その基本が2重構造を持っていたら、全体的にもおかしくなってくるかもしれないと思った。

 

 そして、デモの話や小熊英二の映画の事等に触れて、休憩になった。デモは文化的、社会的に意味があると思うが、政治的にはないと思うという東。本当に止める。はいいと思うが、止まらなかった時に、どうするのか。

 

 休憩中にトイレで東氏といっしょになり、思わず先に譲ってしまう。あれだけワイン飲んでいたし。

 

 そのあと高橋源一郎がフィリピンに行き、戦死した叔父を弔うためにいろいろと知ることになったら、日本の戦争の仕方が本当にひどい。それは戦争の狂気といったことでなく、戦争をしてはいけない国、というレベルでものすごく愚かで、その誰も責任をとらない感じは、今も変わってなくて、といった話は恐さもあって、空気も重くなるが、満州の引き上げの時も、軍が先にそのことを知ると、自分達は逃げて、橋を落とした。だから、軍の関係者以外は、ほぼ死んでしまった。ということも話された。

 

 そのあと、東は休憩を自分ではさみつつ、慰霊の話。あいまいなこの言葉は、戦後に定着したらしい。東京慰霊塔に、関東大震災東京大空襲の犠牲者が共にまつられているのはGHQも関係していたりする。初めて知ることばかりだった。

 

 質問の時間で、民主主義の話になる。

 アテネ直接民主主義。とにかく参加しろ。勉強しろ。でも、権限があるポジションは任期が1年で、くじ引きなどで決めていた。それは、人間を信じることと、不信のミックスのシステム。そして、その時は3万人。

 

 東が3万人は、分かると語る。はてな、(?)頃に、3万人がメンバー。もちろんアクティブな人は1000人くらいだけど、把握できる人数で、それを越えると、共同体は崩壊する感じは分かる、という話をした。

 

 責任をとる。損をする。それでも、そうしないといけない時がある。原発事故の責任をとるといった事も含めて。今だと誰も悪くない、になっている、と東。

 

 3時間半以上だったが、とてもクリアで重くて、そして、誰も責任をとらないシステムというのは、何なのだろう、と課題は分かったが、どうすればいいのかは、難しい。ただ、自分は責任をとるべき時には、損しても、とろう、と決意は出来た。

 

 

 

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