アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

筒井康隆×東浩紀。「パラフィクションとしての筒井康隆」―― 文学の未来、批評の未来。2015.11.29。ゲンロンカフェ。

筒井康隆×東浩紀」 ゲンロンカフェ。 

https://genron-cafe.jp/event/20151129/

 

2015年11月29日。

 どうしようかと思っている間に、あっという間にチケットが完売しそうだったので、けっこうあわてて申し込んだのだけど、120名になっていた。すごい早さだった。筒井康隆というのは名前は知っていて、何冊か本も読んで、だけど、遠くて歴史上の人物のように思えてしまうくらいだった。その「偉人」が生でしゃべるのを見られる。それも、ゲンロンカフェで、東が相手だから、ただお話を拝聴する、にはならないだろうという期待も、当然あった。

 

 五反田の街を歩いていつもの牛丼屋で食事をして、ゲンロンのビルのエスカレーターを登ったら、列が出来ていた。6階だけど、5階で降りて、これゲンロンのですか?と聞いたら、そうです、と言われ、さらに少し降りた。初めて開場前に来て、それでもう階段まで列が出来ていた。3階くらいまで。それでも、6時が過ぎて、入場が始まって、座ることが出来た。ある程度、席を選べるような感じだった。わくわくはするが、熱気のせいか、持って行った本の内容が入って来なくなっていた。それでも始まるまで、30分以上あるから、ただ、どんどん人が来て、混雑してきて、室温はあがっていった。

 

 午後7時から5分ほど過ぎたあとに、始まった。入場の時に拍手が大きくて、長かった。ファンがたくさんいるのだろうし、尊敬もされているだろうし、こういう機会が少ないのだろうし、といろいろな事を思った。

 

 今、連載を終えたのが最後の長編らしいが、筒井は普通にこれが不評だったら、次はカーテンコール。それでもダメだったら、プレイバックという作品を書こうと思っていると、さらりといって、笑いも起きる。

 東の質問で、「虚人たち」以前のことは覚えていないと語ったり、クロニクルが苦手だったりといった話も率直に話したりして、「日本沈没」は戦争のことです、という話も出たりして、さらには、近作についての話にもなり、筒井のメタフィクションのことが何度も話題になるうちに、筒井は、小さい頃を話し出した。

 

 幼稚園の頃にカトリックで、神のことをずいぶんと叩き込まれた。それが、ずっと気持ちにあって、何か悪い事をしていても、天の上にいるあのお方は、といったことを考える、ということのあとに、東はそこが、メタフィクションに通じているのかも、という話につなげ、聞いているほうも、ああそうのなのかも、という気持ちになった。

 

 筒井は、自分のことを僕と呼び、東くんと呼び、思った以上に自然で、偉そうなところがない。時々、笑う。そんな中に大勢で聞いていると、幸せな場所にいるのでは、という気持ちが時々、ふと強くなる。

 

 最後のほうで、批評の未来という話題になった。

 筒井は、普通に、それは東君に任せれば、という話になり、東は、筒井の存在が日本の文学史を豊かにしている、ということにもなった。

 途中で、断筆宣言の時も、休みたかったけど、休筆宣言は五木寛之がしたから、真似になって嫌だし、というようなことを言い、事件があって、ちょうどいいと思って断筆宣言をしたが、そのあいだも書いていたり、怒りを元に書いていない、と言ってみたり、東も驚かせていたが、筒井は、いつも読者をびっくりさせたいから、と笑っていた。いつも新しいものを書きたいし、同じものも書きたくない、とも言っていた。

 

 普通にすごい。やっぱり化け物みたいな人はいるんだ、とも思ったが、最後の質問では関係者は遠慮したのに少しがっかりし、一般の女性の「好きな食べ物は何ですか?」という質問には、主役の二人は、やはりそういう質問か、という苦笑いになっていた。あとは、恋愛に関することとか、どこに行っても、そんな質問になってしまう、という話題になり、終った。

 

 退場の拍手も長く、大きかった。

 豊かな時間だった。

 サイン入り(筒井が自分でしてきたらしい)の本を買おうとして、最後の1冊で、もう一人の人とほぼ同時だったが、相手が若かったので、譲った。

 

 

 

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