アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

宮台真司×東浩紀。ニッポンの展望2015。2014.12.25。ゲンロンカフェ。

宮台真司×東浩紀。ニッポンの展望2015。ゲンロンカフェ』

https://genron-cafe.jp/event/20141225/

 

2014年12月25日。

 二人の対談の企画は2ヶ月くらい前にチケットが発売されたが、わりとすぐに買ったのに売り切れも早く、120枚が完売した、と聞いて、この世界のスターなんだなと改めて思う。おそらく、まだ、そんなことも知らないのか、と言われそうだけど、宮台氏が、初めて話す姿を生で見られるという事で、楽しみだった。15分前に着いたら、畳の席しかなかった。ほぼ満席。ぎっしりと並べられている座布団に辛そうな感じはしたが、それでも座れただけよかった。

 話は暗いトーンで始まる。

 どちらも今に絶望しているような気配もあった。

 

 大勢の前で話すことの無意味さといった事を話している。そうかもしれない。聞いてくれる何十人かの前で話すほうが大事なのかもしれない。そこから広げることの方が大切なのだろうというような気持ちはある。

 

 それから、いくつかのエピソード。

 宮台:地方は全滅で、中央にぶら下がるしか生き残る方法がないの

    では。

 東:沖縄の選挙は意味があったが、福島県知事選はどうなのか。す

   でに開沼博が、原発が論点にならなかったのは正しかった、と

   いう言い方はどうなのか。

 

 感情の劣化、という話題。

 近代は、感情を教育してきた。それがなくなってきたのが今で、感情は教育で身に付いていくものかもしれない。そうでないと、10人子どもがいるから1人くらい間引きしてもいいでしょ、に簡単に戻る可能性があるのでは、という東の指摘。

 

 社会に背を向ける、という感じに2015年はなるのではないか。

 宮台は、今もインターネットでは見えないようなコミュニティーが増えている、と指摘する。

 東は、ゲンロンを、今の時代に何を言っても無駄なので、ここでその先に将来にプラスになるかもしれない、ことを送り出せたら、と思ってやっている、という。

 編集者の質の低下がある。ここに、編集者が来るはずだったのに、という言い方をする東。(確かにそうかもしれない。自分が知らなくても、ここに来れば新しい「著者」がいるように思えるのに)。

 

 津田大介が入ってくる。思った以上に誠実な印象。

 東は、聴衆に、話し手の感情の論点のようなことも感じさせたい、というような意味で、この場所を作ったらしい。

 ポリタスを続けている津田も、今回の選挙で、これだけの人が文章を寄せた、という事を歴史的な意味の中での評価も含めて考えてやっていた、といい、このあたりから政治への関心が少しずつでも高まる可能性もあって、東と津田には期待が出来るような気がした。

 

 そして、最後のほうで、東がディズニーランドのことに触れ、アメリカのディズニーワールドにはけっこう多くの障害者が働いている。両足がない店員もいる。おそらく、意識しているのだろう。今の日本の社会で障害者や幼児や老人などがいるのにいないようになっているのは異常だと思う。可視化すべきだと思う。というような言い方をする東。

 これは、介護の事にも関係してくるように思った。

 

 終ったのが午後11時25分。約4時間半。すごいことだけど、これが当然になってくれば、さらにすごく意味がある事だと思った。

 

 

 

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「ゲンロンカフェ」

https://genron-cafe.jp/