アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

書籍 『公の時代』 著者 卯城竜太(Chim↑Pom) 松田 修 

『公の時代』 卯城竜太Chim↑Pom) 松田 修

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「公の時代」。タイトルが硬い。内容の説明にもなっている長いサブタイトルも、難しく感じる。だけど、ちょっと読み始めると、ダウンタウンの漫才が、“チンピラの立ち話”と言われたという伝説があるが、そのニュアンスと近い会話に思えてくる。

 

卯城竜太(うしろ・りゅうた)と松田修(まつだ・おさむ)。

 

 2人のアーティストが、かなり率直に話し合っていて、ただ、そのフランクさと裏腹に、今の時代の表現の自由に関しても、実は本質的に話をしているから、様々なことへの洞察力の鋭さも感じる。それは、2人とも切実に作品を制作し、表現し続けてきたことで鍛えられてきた知性で、支えられているせいではないか、と感じる。

 

 この本の中で、もっとも多く発せられている印象のある言葉は、1位「ヤバい」、2位「エクストリーム」ではないだろうか。「エクストリーム」も、過激とか、極端といったような意味のようなので、だから、全体としては、2人のアーティストが「ヤバい」を連発し続けている本、ということかもしれない。

 

 この2人が、どんなアーティストで、どんな活動をしているのかを知っていた方が、より楽しめるはずだが、知らなくても、何か新鮮な視点を求めている人であれば、興味深く読めるのではないだろうか。冒頭の「サンタが死んだ」というエピソードは素直に面白く、そこにノレるのであれば、美術などに関心も情報もなくても、そこから終わりまで、読み進められる確率は高いと思う。

 

 ゲストも登場する。美術評論家福住廉。2019年、様々な面で話題となった、あいちトリエンナーレが始まる前に、その芸術監督もつとめたジャーナリスト津田大介も率直に話をしている。建築家の青木淳も、「公」という言葉への不信感を語る。2人のアーティストのフランクさのせいか、ゲストもつられるように、ストレートに近い言葉を発しているように思える。

 

 本の中では、大正時代のことが、熱量高く語られている。

 

 大正時代の展覧会などについて「ヤバ」くて、「エクストリーム」という言葉が連発されているが、アーティスト集団Chim↑Pom(チンポム)卯城竜太によって、こんな具体例もあげられている。

 

関東大震災の翌年(1924年)に開催されたグループ展「帝都復興展覧会」へのマヴォの参加の仕方と出展作品って、マジでキモそうだからね。復興のための建築的な構想を発表しているんだけど、その展示室は怪奇室だなんて騒がれて、作品は建築模型とかと言いつつ、髪の毛や新聞紙、首なし人形、垢らだけの造花、頭蓋骨の彫刻なんかを素材にしていたらしいよ。さらに震災直後に行われたマヴォの展覧会のDMには、一枚一枚に髪の毛が貼られていたって(笑)

 

 そうした大正時代のことにも刺激を受け、アーティスト集団Chim↑Pomが、新宿 歌舞伎町の建て壊しが決まっているビルを使い、床の真ん中を貫くように穴もあけて、開催したのが「にんげんレストラン」という展覧会だった。2018年10月に2週間限定で行われた。様々なパフォーマンスが、その空間で行われ、作品も展示されていた。

 

 松田も、そこに参加している。その姿が裸で、写真に残っている。

人間の証明1》2018年 「にんげんレストラン」会場で10日間×24時間首輪と鎖でつながれたまま生体展示される作品。ビニール袋のパンツ一枚のみを身につけた開始当初の姿

 このパフォーマンスについての松田の言葉。

僕がやりたかったのは、僕という「個」のアーティストが開く、いつもと違ったルールで動く「公」の場所づくりだったのかもしれない。誰もが参加できるんだけど、ふだん生活する場所とはルールが違う場所。その中心には物乞いをしている僕がいて、お客さんっていう「個」が差し入れを持って集まらないと成立しない「公」。成立しないっていうか、僕は飯も水もなくて寒さで凍えそうだから、必死に物乞いをして「個」を動かす努力をする。

 この本の、タイトルの「公」の時代、というのは、現在の状況であり、それは、「個人」が、場合によっては、犠牲になりやすい時代になっているのでは、という見定めでもある。それは、こんな形で具現化されているのでは、と松田修は話している。

 

東京の練馬区でひきこもり状態の長男を父親が殺すって事件に発展した。ネットなんかでは殺した父親に対して「よくやった」とか「同情する」なんて声が多数あったんだよね。もはや「世界中を敵にまわしても、俺だけはおまえの味方だ」なんて話は家族内でも絶対的ではなくなってきて、世間や社会っていう「公」のために「個」を殺すことを良しとする人間が増えてきているとも言えないかな。実際に命を奪うって意味だけではなく、「個性」を殺すって意味でも。

 

 表紙の長いサブタイトルを、改めて見ると、全体では確かに、こんな内容だったと思う。

 

官民による巨大プロジェクトが相次ぎ、炎上やポリコレ広がる新時代。社会にアートが拡大するにつれ埋没してゆく「アーティスト」と、その先に消えゆく「個」の居場所を、二人の美術家がラディカルに語り合う。

 

そして、2人のプロフィールも、カバーにあげてある。どちらも、独特の経歴とも言えるかもしれない。

 

卯城竜太(うしろ・りゅうた)
 1977年東京都出身。2005年に東京で結成したアーティスト集団Chim↑Pom(チン↑ポム)のメンバー。東京をベースにメディアを自在に横断しながら表現活動を続け、海外でも様々なプロジェクトを展開、世界中の展覧会に参加する。美術誌の監修や展覧会キュレーションも行う。

松田修(まつだ・おさむ)
 1979年尼崎出身。二度の鑑別所収監を経て、東京芸術大学大学院美術研究科修了。映像、立体、絵画とジャンルを問わず様々な技法や素材を駆使し、社会に沈潜する多様な問題を浮上させる作品を制作。