アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

飯山由貴「あなたの本当の家を探しにいく」。2022.8.30~11.30。東京都人権プラザ 1階企画展示室

飯山由貴「あなたの本当の家を探しにいく」

https://www.tokyo-hrp.jp/feature-2022-02.html

 

 図書館の棚でチラシというか、リーフレットを見つけた。

 

 コロナ禍以来、アートを見に行きたくても、持病のこともあり、感染が怖くて出かけられないことが続いて、特に都心部のビルの中での展覧会は、人が多そうで余計に行かれなかったので、そこに行くまでも、なるべく人が少なそうな場所と時間帯であれば、と考えると、見られるアート自体が限られてしまう。

 

 そんな中で、図書館で見つけたチラシの展覧会は、このアーティストの映像作品は、どこかで見た記憶もあったけれど、「東京都人権プラザ」という場所も初めてだったし、週に一度だけ出かけるところから比較的近いし、失礼な話だけど、現代美術は空いていることが多いし、あまり知られていない施設だったら、感染のことも考えなくてすみそうで、ありがたかった。

 

精神障害とは、精神疾患のため精神機能の障害が生じ、日常生活や社会参加に困難をきたしている状態のことをいいます。精神障害は「見えない障害」のひとつであり、患者と患者以外の人との境界も明瞭ではなく、誰しもが発症する可能性があります。

 本展では、美術作家・飯山由貴さんの映像作品を通して、精神障害がある人の語りと向き合うこと、寄り添うことの在り方を示します。精神障害がある妹と共に制作した「あなたの本当の家を探しにいく」、「海の観音さまに会いにいく」、そして、精神病院がどのような場所として機能し、精神障害のある人の語りがどのように扱われてきたのかを考察する「hidden names」をきっかけに、精神障害への差別や偏見のない社会に向けて、自分にできることを考えてみましょう』(チラシより)。

 

 すごく立派な言葉で、さすが「人権プラザ」というような気持ちになり、これだけだと、ちょっと行くのにためらいそうだったけれど、同じチラシに、作家の文章があって、それは、とても行きたい気持ちになれるものだった。

 

「展覧会のためのノート」

 

『幻聴や幻覚をもつ家族が具合が悪くなったとき、わたしたち家族は多少うんざりしつつ、戸惑いつつ、落ち着くのを待つ。彼女はどうしてこうなるのか考える、さっきの会話が気に障ったんだろうかと。それもあるのかもしれないが、傍目には何もなくても具合が悪くなる時もある。よくわからない。彼女はあの有名なアーティストのように自分に見える物を絵画にしたりはできない。「アウトサイダー・アート」と呼ばれる芸術の展覧会が開かれていたりするけれど、精神に障害(この言葉はあまりつかいたくないが)を持つ人が、幻覚や幻聴を「表現」できること自体がもしかしたら希有なことで、表現の仕方もうまく見つからないまま、投薬し生活している人のほうが大多数なのかもしれない。私自身は大学で絵を描いたり造形する人に囲まれて生活していたから、感覚が麻痺していたんだと思う。だれでも何かしら作ったりできると思いこんでいたが、そうでもなくて、できることできないことが人それぞれあると、妹と数年ぶりに一緒に暮らしてみて気づく。そして、それを互いに補うことができることも』〈飯山由貴「展覧会のためのノート」(2014,waitingroomより)〉

 

 こういう人が制作する作品は、見てみたいと思い、そして、11月下旬まで展覧会はやっているから、まだ時間はあるけれど、用事が終わって、この場所に着くのは、おそらくは午後4時半。だから、閉館まで1時間しかなく、チラシにそれぞれの映像作品の上映時間が示されていたが、それを足すと、その時間では足りなくて、じゃあ、どうしよう、などと考えているのも、ちょっと楽しかった。

 

 

「上映禁止」

 

 失礼だと思うのだけど、おそらくは、現代美術の展覧会によくあるように、ひっそりとした感じで、だから、ゆっくりは見られるのだろうと思っていた。そのうち、美術にまつわる「検閲」という言葉が出てきて、ここ何年かは、そういうことが多くて、ちょっと嫌にもなっていたけれど、その「上映禁止」というニュースが、自分が行こうと思っていた展覧会だと分かった時は、勝手に意外な気持ちだった。

 

美術手帖」サイト

https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/26233

《In-Mates》という作品の上映中止という事態が起こっていたのを、こうしたニュースで初めて知った。

 

8月30日に展覧会がスタートしたものの、アーティスト・トークや専⾨家を招いてのトークイベントが⼀切実施できない状態となっており、飯山が上映中⽌について公の場で発⾔する機会が奪われている。

 

 

飯山は現在の状況について、「⾮常に⼤きな機会の損失を観客も私も受けています。マイノリティに関する表現を扱ううえで、こうした対話の場と機会は⾮常に重要なものです。しかし、それも⼈権部は⾮常に軽んじている様⼦が窺えます」と人権部を批判。「この『検閲』は、在⽇コリアンへのレイシズムに基づく極めて悪質なもの」としつつ、小池都知事に対しては、「これまでの⾃らの⾏動が⾏政職員による偏⾒と差別⾏為の煽動となっていることを⾃覚し、本事件が発⽣するに⾄った経緯をあらためて調査し、公に説明してください」と要望している。

 
 アートと政治は無関係ではないのだけど、こんな注目を浴びるようなことがあったことに驚きと既視感もあった。やっぱり、「上映中止」になった作品も、できたら見たかったのに、とアートの観客として思ったし、トークショーなどがなかったのは、確かにちょっと不自然だったのにも気がついた。
 

 

シンポジウム

 

 そんなことを思っていたら、東京藝術大学で、シンポジウムが開かれるのを知った。

 

飯山由貴《In-Mates》上映会+シンポジウム

http://ga.geidai.ac.jp/2022/10/23/in_mates/

 

本企画では、現在各所で見ることができる複数の飯山さんの作品への理解を深めると同時に、現代アートと人権、精神障害レイシズムについて学生のみなさんとともに考えていきたいと思います。学外の方もオンラインにてご視聴いただけます。ぜひご参加ください。

 

 当初は、500人予定だったのが、すぐにいっぱいになり、1000人で再設定になっていたから、思った以上の反響だったのだと思うのだけど、私のような一般の人間にも、視聴できるのは、やっぱりありがたかった。

 

[第1部]《In-Mates》上映+飯山由貴作品紹介
[第2部]シンポジウム「〈人権〉と展示の政治学現代アート精神障害、検閲、レイシズムの現在」

ゲスト:
飯山由貴(アーティスト)
卯城竜太(アーティスト)
小田原のどか(彫刻家、評論家)
楠本智郎(つなぎ美術館学芸員
中村史子(愛知県美術館学芸員
山本浩貴(アーティスト、文化研究)

司会:清水知子(東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科准教授)

 当日、《In-Mates》は、全編通してみられ、川崎の海底トンネルという場所で行われた撮影で、当事者の記録がほぼ残っていない中で、その境遇を想像した上で、自らの思いや経験を含めたであろうラッパー/詩人のFUNIによる詩とパフォーマンスは、説得力もあったし、映像作品としても良かったし、「上映中止」に対しての都側の言葉だけで、中止にするのは無理があると思った。

 

 その後も、ゲストによる話の中で、思った以上に「検閲」や「規制」のようなことが、アートに対しても行われていて、無理とは思いつつも、「中止」を決めた側の人たちも含めて、話ができれば、それも含めて「作品」となるし、観客としては見たいと思ってしまった。

 

展覧会

 

 そのシンポジウムがあった数日後、実際の「展覧会」に出かけられた。

 

 夕方に用事が終わり、そこから浜松町に向かい、初めて行く場所だから、チラシに書いてある地図の方向を自分が歩くたびに方向を変えつつ、道路を歩くと、ホテルの隣に、本当にごく普通のビルがあった。

 

 そこは「人権プラザ」であって、行政のスペースであるのは分かったけれど、現代美術の展覧会が開かれている気配がなく、入り口付近に受付のような場所があり、中年の男女のスタッフが二人いて、消毒と検温を促され、コロナ感染の場合のために連絡先を書いてください、と言われ、その後にシャープペンシルも一緒にアンケートなども手渡された。

 

 閉館は、午後5時30分です、と告げられる。あと1時間弱しかない。

 

 一番奥の部屋が展覧会だった。

 

 大きい一部屋には、映像作品が3本、同時に上映されているから、時間を考えたら、本当は一本、一本、じっくりと見た方が、鑑賞体験としては質が高くなるのは分かっていても、一つを見ながら、後ろを見て、違う作品を見たりして、出来るだけ全部を見ようとした。

 

 そのハンドアウトには、丁寧な解説が書かれていた。すべてに振り仮名が振られていた。

 

①《あなたの本当の家を探しにいく》 2013年、33分53秒

 2013年の10月に、私の妹が「本当の家を探しにいく」といって、外に飛び出して行こうとしました。いつもだったら「外は危ないよ、外聞が悪いよ」と、母と2人でひきとめます。しかしその時は「このまま探しにいってみてもいいんじゃないのかな」と思いました。別に日に、実際に「本当の家」を探しにいってみました。妹とわたしはそれぞれ頭に小さいカメラをつけて町を歩き、編集でふたつの風景を重ね合わせています。

 

②《海の観音さまに会いにいく》 2014年、21分22秒

 「本当の家」を探しに行った後、妹と話したところ、今まで「見える、聞こえる」と表されてきた経験の内容を教えてくれました。家族と一緒にその再現をすることに意欲を示してくれたので、私は家族を説得し、撮影の準備をしました。再現部分で行っていることや言葉は、彼女が考えて書いたものを当日用意してくれたので、それに沿って行いました。

 ソファに座って木苺ジュースを飲むシーンは、この現実と、幻聴や幻覚がみえる状態のあいだにいるような時の会話の記録です。

 

③《hidden names》 2014,2021年、25分13秒

 戦前まで東京にあった王子脳病院の症例誌(診療録)を重要な資料として研究を行う歴史研究者へのインタビューです。この時代の精神科病院では、患者たちは医療者たちから話すことを奨励され、細かに言葉を書き留められる存在でした。しかし同時に、書き留められた言葉は決してその空間の外には出ていかなかったのです。王子脳病院内で撮影されたフィルムのデジタル化素材を使った再編集版の公開です。

 

  この中で、病院の映像作品は、本当に知らなかったことばかりが多く、それでいて、そこに生きていた人が確かにいて、といったことまで伝わってくるようなもので、個人的には、《あなたの本当の家を探しにいく》が、姉妹二人で夜の街を歩いて、同じ方向を向いているから話せるような、カジュアルでシリアスでもある会話が、とても豊かなものに感じて、好きな作品だった。

 

 展覧会に来る前は、シンポジウムにはオンラインだけでも、500人は参加していたのだから、それからそれほどの時間が経っていないから、展覧会が、とても混んでいたら、鑑賞しづらいし、コロナの感染を考えたら、怖さもあった。

 

 だけど、その企画展のスペースには、私以外は、女性が一人いただけだった。

 

 それに、記者会見なども開いたのだから、会場の内外に騒然とした気配があるかもと思っていが、ただ静かな場所だった。

 

 そして、午後5時30分近くになった時に、この施設の女性スタッフがやってきて、そろそろ閉館です、と遠慮がちに伝えてくれた。まだ全部見ていないけど、と思いながらも、その部屋を出て、出入り口付近で、アンケートも記入したものをスタッフに渡した。すると、よろしかった、ということで、自分が使ったシャープペンシルを持ち帰っていいと言われた。ありがたく持ち帰る。

 

 アンケートには、こんなことを書いた。

 

今回、上映中止になったり、トークショーも行われなかったりしたのは残念なので、無理かもしれないけれど、ここまでの過程も含めてのことを作品化して、飯山由貴さんという現代美術家にとっての「完全版」の展覧会を見てみたいです。

 

 

 

「飯山由貴」(WAITINGROOM)

https://waitingroom.jp/artists/yuki-iiyama/

 

 

amzn.to